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子どもの摂取エネルギー量に格差が…広がる「日本の貧困」

阿部彩(社会政策学者),鈴木大介(ルポライター)

2018年10月25日 公開 2023年01月30日 更新

阿部彩

子どもの摂取エネルギーの量にも格差が生まれている

(阿部)実は絶対的貧困と相対的貧困って、そんなに違う概念じゃないんです。例えば、餓死は確かに絶対的貧困かもしれませんが、多くの、いわゆる「絶対的貧困」論者だって、「餓死しなければOK」と思っているわけじゃないでしょう。「最低限の食事」くらいに思っていると思います。

でも、その「最低限の食事」って何ですか? ゴミを漁って、腐りかけた残り物を食べることですか? 賞味期限が切れたコンビニの廃棄弁当をもらってくることですか?

相対的貧困に対して厳しい意見を言う人だって、さすがに、日本の子どもが腐ったお弁当食べなくてはいけない状況だったら、「何とかしろ」と言うのではないですか?「最低限の食事」って、せめて、お米のごはんとか、毎日じゃないにせよ、二日に一回は肉か魚が主菜で、お味噌汁がついて……って思い浮かばないですか? 実際に、日本全国の小学校でそのような食事が「正しい食」だと食育で教えています。

私たちは、明日死刑を迎える人にもそのような食事を出しますよね。でも、なんで、そのような食事が「最低限」と考えるかというと、それは、私たちが「通常の日本の食卓」をベースにものを考えているからです。

これっていうのは、相対的貧困概念なんです。「普通に比べて……」というのは、絶対的な概念ではないんです。私は、「絶対的貧困だけが問題で、相対的貧困は問題じゃない」という人たちは、何が絶対的で、何が相対的なのかはっきりと意識しないままものを言っていると思います。

実際に、「相対的貧困」に含まれる子どもたちには、野菜を摂れていない子どもや、毎日、ごはんと納豆しか食べられない子がいます。お母さんが食べ盛りの中学生に「おかわりしていいよ」って言えないお宅があります。

栄養学の先生と一緒に、子どもが何を食べているのか綿密に調べたら、タンパク質やビタミン、鉄、亜鉛などのミネラル、それから総エネルギー量さえも、貧困の子とそうでない子には差がありました。

それでも、「絶対的貧困論者」の方々は、相対的貧困を問題じゃないと言うのでしょうか?

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