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金沢から東京・銀座へ カリスマ創業者の後を受け成長する「ぶどうの木」

本康之輔(株式会社ぶどうの木代表)

2018年11月28日 公開 2022年02月17日 更新

金沢から東京・銀座へ カリスマ創業者の後を受け成長する「ぶどうの木」

<<石川県金沢市を拠点に、広大な「ぶどう園」を基盤としたフランス料理などの飲食店、洋菓子・和菓子の菓子製造販売、ブライダル事業を複合的に手掛ける「ぶどうの木」。シンボルはたわわに実ったぶどう。いまから36年前の1982年、創業者の本(もと)昌康氏が、金沢近郊のぶどう畑の中で始めた座席数20のティーガーデンが源流です。

現在は、金沢市を含む石川・富山両県に「ぶどうの木」ブランドのレストラン・カフェを11店舗、「洋菓子工房 ぶどうの木」が8店舗、東京への出店をも果たした「和菓子 まめや金澤萬久」の7店舗、さらに東京・銀座に本店を置き、飲む生姜を製造販売する「銀座のジンジャー」3店舗を運営。創業の地ではいまでも、ブライダル事業、ぶどう園を営んでおり、従業員は300名を超える規模にまで成長しました。

今回は、父・昌康氏の後を継いだ、息子・康之輔社長に、事業承継とアメーバ経営というテーマを中心にお話を伺います。>>

 

「時間当たり採算」を地で教えられた2年

フォーラス店

――本社長は2代目の経営者だと伺いました。いつ、先代からバトンタッチされたのですか?

(本)私が社長になったのは2018年3月。創業者である父・昌康から「社長業」を受け継いでまだ1年も経っていません。ですから、父が社長の時代、後継者候補として学び、経営を進めてきた時期のことをも含め、お話したいと思います。

 わが社「ぶどうの木」のスタートは、ぶどう園の中にある喫茶店ですが、私が生まれた1975年の時点ではぶどう園しかありませんでした。それまでわが家は、代々金沢の地でぶどう作りをする農家だったのです。小さいころから祖父母に「あんちゃんは大きくなったらぶどう屋(農家)になるんだよ」と繰り返しいわれ、何の迷いもなく「そうなるものだ」と思って生きてきました。だから学校を出たあと、山梨県の日本有数のぶどう農家に1年間修業に行き、金沢に帰ってきてぶどう作りを始めたのです。

しかしそのときにはすでに、父が始めた喫茶店やケーキ屋、フランス料理店が、わが家のぶどう園の中の店にとどまらず、金沢駅のショッピング街やイオンのモールなどに支店を出し、10店舗ほどに拡大していた。そこで「ぶどう屋だけをしていて、ビジネスに携わらなくてよいのだろうか」と悩みます。

そこで父に相談したところ、「経営のイロハ」を学びに、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)に修業に行くことになりました。当時すでに父は、京セラの名誉会長稲盛和夫氏からの教えを受け勉強する「盛和塾」に入会しており、会社でもアメーバ経営を導入し始めたころでしたので。

――修業では、アメーバ経営に必要な経営管理的なノウハウを学ばれたのですか?

(本)1999年から3年間お世話になったのですが、そのうち経営管理について学んだのは3年目。最初の2年間は電話回線販売の営業マンをしていました。そのとき、やり手の営業マンの上司に鍛えられたのが、私にとっては最大のラッキーでした。

営業の仕事を通して、「時間当たり採算」を地で教えられました。最初はアポイントも、1日に100件電話をかけて2件か3件しか取れない。しかも、東京都心・山手線の内側に本社があるような大きなところは難しい。結果、都下の調布市まで行ってようやく1社で10回線取れたことがありました。そこで交通費の精算のハンコをもらいに行くと、「何してんの、あんた。10回線取るためにこんなにお金使って、こんな効率の悪いこと、やめてんか」と、上司から叱られたのです。当時会社には、交通費のコストと売上を記した「個人別の採算表」がありましたね。

――「個人別の採算表」ですか、アメーバ経営の基本ですね。

(本)また、月末の最終日に私ともう一人、受注予定が達成できていないことがありました。そこで、会社のある世田谷区の用賀から国道246号線の道の両側を渋谷に向かい歩きながら、飛び込み営業をするしかない。「営業が注文を取れてないのに、会社にいても仕事はない。飛び込みでもいいから行っておいで」といわれましたので。

 そしてへとへとになりながら、夜、渋谷に到着します。そこへ電話がかかってくる。「どうや。取れたか」と。でも成果はほとんどありません。そう報告すると、「どうや、どんだけ大変かわかったか。それを月末ではなくて、月初からやらんかいな」「それが土俵の真ん中で相撲をとるということや」というふうに諭されるのです。

――「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、京セラの稲盛名誉会長が仰っていることですね。

(本)そうです。つまり「最初から全力でやりなさい」ということです。このように、実地で教えられたことが、一番ありがたかったですね。そして2年が経ち、「経営の勉強のために来ているんだから、経営管理のほうに移りなさい」といわれて異動し、1年学びました。

経営管理課では「完全主義」、つねに100%が当たり前の仕事を教わりました。営業では先月90%だったから今月は110%の予定で取り戻すことが出来ますが、管理はそうはいかない。また勝手に数字を変化させてもいけない。第三者の目を通すことにより、ルールが守られ正しい状況が把握される。それを守り、指導するのも経営管理の大事な役割です。

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サービス業では無理に時間を削れない

著者紹介

本康之輔(もとこうのすけ)

株式会社ぶどうの木代表

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