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生き方

「がんで最期を迎えるのも悪くない」と語る外科医の本心

中山祐次郎(外科医)

2019年06月06日 公開 2023年02月08日 更新

中山祐次郎

人の死亡率は100%。ならばひとつの形として

そして、縁起でもないお話を今からします。ここに書くか悩みましたが、書くべきと信じて書きました。

もし、あなたの大切な方が亡くなってしまったら。

がんは憎い病気です。私は毎日がんとファイトしていますが、勝ち試合ばかりではありません。がんは本当に憎い。私の大切な人を何人も奪っていきました。大切な人を苦しめました。

それでも、がんにかかり、いのちを終えるということは、雨降りのように自然なことなのです。雨が降ったら濡れますし、傘がなければ風邪を引くかもしれません。

でも、雨は必ず降ります。どれほど抗議しても、絶対に降ります。それと同じように、人間のいのちは、そしてあらゆる生き物のいのちは必ず終わりを迎えます。死亡率は100%です。お読みのあなたも、書いている私も、お互い必ずこの命には終わりが来るのです。

その終わりの一つの形として、がんというものはあるのではないか。毎日がんと向き合いながら、私はいまそんなふうに考えています。

どんな病も、どんな怪我も、快適なものは一つもありません。歓迎するものは一つもありません。しかし、もし必ず何かで幕引きをしなければならないとしたら、がんというものはそこまで悪くないのかもしれません。

なぜなら、がんという病気はいのちの終わりまで、時間的猶予があることがほとんどだからです。

人により、がんにより違いますが、数ヶ月から数年はあります。この時間に、会うべき人に会い、見るべき景色を見る。もしかしたら、そんな準備期間になるのかもしれません。

医者をやっていると、大怪我で即死する人や、発症して数分以内に亡くなる人にもよくお会いします。ご本人はもしかしたらその方が楽かもしれません。が、ご家族にしてみたら、ある日突然倒れられ、永遠に話せなくなることの苦しみは計り知れません。

そう考えれば、心の準備や話しておきたいことを話せる時間があるがんは、実はそれほど悪くないかもしれない。あきらめに似た感情かもしれませんが、私はそんなふうにも思っています。

 

がんになって良かったとは思えない。けれど……

がんについて語るとき、私には忘れられない友人がいます。山下弘子さんという方です。19歳で肝臓がんが見つかり、闘い続けて2018年の3月に、25歳で逝去しました。

私が知り合ったとき、すでに彼女はがんと闘っていました。闘うという表現は、実はあまり彼女には似つかわしくなく、抗がん剤治療中に富士山頂まで登頂したり、海外旅行に行ったり、恋愛を謳歌したりしていました。共存していた、と言ったほうがいいかもしれませんね。

彼女は私にこう言いました。

「がんの治療は辛いけど、私はがんになって良かったと言い切れる。だって、がんにならなければじろゆ(私のことをこう呼びました)やいろんな人と出会えなかったし、こんなに人生を考えることもなかったんだから」と。

だからがんになって良かった、とは私には思えません。

おばあちゃんになったらね、と楽しそうに話す彼女の笑顔を思い出すにつけ、生きたかっただろうと無念を感じます。やりきれない気持ちを、私はここまで書いてきたようにして無理やり自分に納得させているのかもしれません。

でも、誰だって亡くなるし、だったら最後に時間の余裕があったほうがいいな、という考えは私を少し癒やしています。突然だったら、お別れも言えず、あなたがどれほど大切だったかということも伝えられなかったでしょう。

がんの医者として、そしてがんで大切な友人を喪った一人の人間として、こんなお話をさせていただきました。

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