大先輩を相手にしても「可愛い」と言えるすごさ
藤井聡太さん(当時、四段)のデビュー戦は、わたくしと戦いました。わたくしが負けたんだけれども、戦ったあとの感想をアナウンサーが求めたときの藤井さんの言葉はこうでした。
「加藤先生がおやつを取り出して食べたのを見て、その仕草が可愛らしいと思った」って。
わたくしはそれもまた仰天しました。だって、14歳の少年ですよね。わたくしは一応、将棋界のいわば長老で、しかも初対局です。普通は緊張しますよ。
緊張するのが当然なのに、わたくしがおやつのチーズを取り出して食べ始めたのを見て、それが可愛らしい仕草だと言う。この「可愛らしい仕草」というのを彼が使ったときに、わたくしはやはりある意味、感心しました。
いや、わたくしはね、14歳当時に、そんな大先輩の仕草を「可愛らしい」なんて思ったことはありませんでした。もっと緊張していましたから。
でも、それを皮切りに、藤井さんは一般の方々にも注目されていきました。
次にほかの棋士と戦って勝ったときに、藤井さんはね、「僥倖(ぎょうこ
う)でした」と言ったんですよ。
40歳くらいの棋士が、「いや、僥倖でした」と言ったら、それは普通かと思う。14歳の少年が勝って「僥倖だ」と言っているのには、また驚きました。
僥倖という状況でもし自分なら、「何とか一生懸命指して勝って嬉しい」という表現になりますが、藤井さんは「僥倖だった」と言うわけです。
ひふみんをびっくりさせた「楽しんで指す」
ほかにも感心させられたのが、われわれは普通に「人生の節目(ふしめ)
」という言葉を使いますよね。「人生の節目がありますよ」と。彼は「節目(せつもく)」という言葉を使ったことがあるんです。
「せつもく」なんていう言葉、わたくしはあるなんて知らなかった。新聞記者に聞いてもね、知らなかったって言っていましたよ。でも、彼は「節目(せつもく)」と「節目(ふしめ)」の両方、言い分けている。これにも驚かされました。
それから、これもおもしろかった。たとえば、将棋界のトップの棋士と戦う前の決意表明で、「対等の気分で楽しんで指したいと思う」と言うんです。
わたくしは将棋界の達人、名人たちのことを知っていますけれども、将棋の世界の達人の決意表明は、「最善を尽くして頑張ります」と言うのが通例です。
とにかく「何はともあれ、一生懸命頑張っていい将棋を指す」と。ある意味、それに尽きるんですよね。それしか言いようがないんだけれども、そこを藤井さんは、「楽しんで指したいと思って」と。
いやね、まだ彼は14歳で四段(当時)ですよ。それが、将棋界のトップと戦うときに「楽しんで指したい」と言われたら、相手は、びっくりしますよ。でも、それで勝つんだから。