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「何歳でもスタートできる。自分を受け入れて人生が変わった」と語る女性の”笑顔の理由”

佐藤仁美(アーティスト)

2020年04月15日 公開 2022年06月06日 更新

「何歳でもスタートできる。自分を受け入れて人生が変わった」と語る女性の”笑顔の理由”


「ヘンリック ヴィブスコフ」2020年春夏パリコレのショーより ©︎Louise & Marie Thorafeld

本当に自分がやりたいことから少しずつ遠ざかっていって、苦しんだ経験。時間はかかったかもしれないけれど、だからこそ今がある。

イギリスやデンマークなど世界中でアーティストとして活躍する佐藤仁美さんも、現在の活躍に至るまでには、長く苦しいトンネルを潜り抜けてきました。

月刊誌『PHPスペシャル』2019年4月号にて、佐藤仁美さんがご自身の体験を振り返りった一節をここで紹介します。(取材・文:PHPスペシャル編集部)

 

200社を受けて、やっと決まった会社で味わった苦痛

現在の仕事仲間とともに笑顔の佐藤さん(中央)。ここに至るまでには長いトンネルがあった…。
現在の仕事仲間とともに笑顔の佐藤さん(中央)。ここに至るまでには長いトンネルがあった…。

「人生って苦しくて大変なものだよってずっと言われていたし、そう思っていた。でも、違いました。せっかくの自分の人生だから、大切にしたい」

そんなふうに明るく話すのは、佐藤仁美さん。1978年、広島県に生まれた。

2014年に渡英して芸術大学として名高いロンドンのセント・マーチンで学びながら、デンマークのファッションデザイナー、ヘンリック・ヴィブスコフのもとでインスタレーションデザイナーとして働いている。パリコレで2020年春夏のショーにはセットデザイナーとして参加した。

もともとイギリスのインテリアが好きで、将来はその分野に進みたいと思っていた。留学も考えたが、親が堅実なタイプで厳しかったため、大阪の大学で国際コミュニケーションを学ぶ。

英語は得意で成績もよかったけれど、インテリアへの憧れが忘れられず、大学4年のときに建築とインテリアの専門学校でダブルスクールを始める。

無事に卒業はできたものの、時代は就職氷河期。200社受けてやっと決まった家具の会社で、セクハラに遭う。半年耐えて、会社を辞めた。

次は建材や住宅関連の大企業へ。日本の伝統技術を使っているところに興味を持って入社したが、1週間で「違うな」と思った。それでも3年はがんばろうと思い、5年続けた。

 

5分前のことが思い出せない、夜も眠れない

「私がやりたいのはこれじゃない」という気持ちが日に日に大きくなっていく。やれと言われたらがんばるし、それなりにできる。でも、これが定年まで続くかと思うと、心が折れた。過労もたたって鬱になる。28歳のときだった。

5分前のことが思い出せず、覚えていることができない。夜、眠れなくなる。実家には帰りたくなかったが、異変に気づいた母に心療内科に連れて行かれた。結局、仕事を辞めて実家に戻る。「ショックでした。がんばってきた結果がこれか、と」。

長引く療養生活で、読んだ本に書かれていた「好きなことをする」「自分を受け入れる」などの言葉を、ノートに書き留めるようになる。

「自分の考え方のクセに気づきました。小さい頃からネガティブで、何かあると自分を責めてしまっていた。本を読んで言葉を書き出し、自分を掘り下げる作業をしました。本当はどうしたいの? って」

病状に少し回復の兆しが見えてきた頃、ハワイに行ってみることにした。「好きなことだけをやってみよう」。午前は語学学校に通い、午後はぶらぶら散歩してビーチで寝たり、泳いだり、サーフィンやバーベキュー。外国の友達がたくさんできた。

1、2週間もすると、みるみる元気になった。あきらかに顔が違うのが、自分でもわかった。

「感情が戻ってきて、目に入るものすべてが新鮮。夕日を見てきれいと思える。生まれ変わったみたいでした」

鬱になって6年。いつ終わるとも知れなかった苦しみが、驚くほどすんなり消えていった。

 

自信がつくのを待っていられるほど時間はない

一旦日本に帰って、10代の頃に夢見ていたセント・マーチンへ。本当にやりたいことをやろうと決めた佐藤さんは、見事合格。

いざロンドンへ行ってみると、学校の外で学ぶことも多かった。憧れの会社でのインターンや好きなアーティストのアシスタントを経験して、世界で通用するアーティストとして成長した。

「門前払いはしょっちゅうです。断られて当たり前。返事がまったく来ないならあきらめるけど、1ミリでも可能性があると思ったら食らいつきますね。何回かメールして、『そこまで言うなら』『来年ならいいよ』となったこともあるので」

本当にやりたいと思って行動したら、できる。その事実が佐藤さんを強くした。

「かつての私は、自分のことを信用していなかったんだと思います。でも、もうそんな暇ないから。自分を信じないと、前に進めない」

自信はいまだにないという。どれだけやっても、まわりにすごいと言われても、自信満々にはなれないと気づいた。ただ、卑下はしないようになった。ニュートラルな自分を保つ、という感覚。

「自信がつくのを待ってたら、今度こそ死んでしまう。『自信がついたら』って言っても、たぶん一生つきません。準備できていなくても飛び込む。そうすればどうにかなるだろうと思ってます」

 

尊敬できる人のもとで働ける幸せ

「ヘンリック ヴィブスコフ」2020年春夏パリコレのショーより ©︎Louise & Marie Thorafeld

この1年働いている先のヘンリックは、ファッションのみならず写真や映像、音楽なども手がけるマルチアーティスト。スウェーデンやベルギーの王立バレエ団の衣装もデザインし、ヨーロッパで広く名が知られている。

ファッションブランド「ヘンリック ヴィブスコフ」は、コペンハーゲンとニューヨークに旗艦店がある。

一度は断られたが、再アタックしてインターンが実現。とはいえ雑用係かなという予想に反して、いきなり仕事をまかせられることに。上海のイマーシブシアター(没入型演劇)のセットをデザインしたり、コレクション用の靴下用デザインを考えてみてと言われたり。

「私はファッションデザインの経験はないのに、チャンスをもらえてありがたかった。『なんでもやってみたらいいよ』っていう環境にいると、自分にはこんな才能もあるんだと気づくことが多いです」

ヘンリックの人間性にも感銘を受けた。偉ぶることなく、いつも落ち着いていて、なんでも楽しむ余裕がある。

「こんなふうになりたいと思える人。作品だけでなく、人としてすばらしいんです」

あるとき、佐藤さんが鬱だったときのつらい経験を話す機会があった。ヘンリックは真摯に耳を傾けて、「君がここにいることが、きっと誰かの励みになる」と言ってくれた。

「私が人に何か言えることがあるとしたら、『自分を信じてください』ということ。この分野だからなのか、特殊に思われることもあるみたいなんですけど、私はたまたま好きなことがアートだった。その人がその人でいられる場所が、誰にもあると思うんです」

つらい時期もあったけれど、今ここに辿りついたことがうれしい。1分1秒が楽しくて、「私って幸せ」という思いで、毎日泣きそうになるという。

 

問いかける作品を作っていきたい

佐藤さんの作品"What is a Dream, What is Reality?" 鑑賞者が実際に椅子に座ることができる
佐藤さんの作品"What is a Dream, What is Reality?" 鑑賞者が実際に椅子に座ることができる

落ち込むことは今もある。そんなときは、「楽しくやっていくにはどうすればいいのか」を考える。頭の中にあることを書いて整理する。以前のような考え方のクセにひきずられそうになったら、軌道修正。

「今日の晩ごはん何にしようかな」など、なんでもいいので、違うことを頭に浮かべるように。深呼吸をして、考えを一旦打ち切るのもいい。「前までの考え方で鬱になったんだから、変えないといけないと思った」という。

「最初はとにかく自分のやりたいことをやるんだってイギリスに来たけど、いろんな出会いがあって、いろんなことを考えさせられました。

どんなにすごい人も、悩むし、迷うし、苦労していたりするということがわかった。誰がうらやましいとか、あんまり関係ないんだなって。そして、どんな状況でも見守ってくれる両親に感謝しています」

佐藤さん自身の作品には、体験型の立体作品、インスタレーションと呼ばれるものが多い。

たとえば、「脳を半分に切って、その中に死ぬ寸前の自分と今の自分がいる」という作品。鑑賞者が頭にかぶると、思い出の食事の匂いや咀嚼音が聞こえる。死ぬ寸前の自分とどんな会話をするか、問いかけられる。

人は、どこにどんなふうに生まれてくるかは選べない。佐藤さんの作品には、「どんな自分で生きていきたいですか?」という問いがある。

「主張したいというより、問いかけたい。生きるって何? 人間って何? 私の作品が、見た人にとって、そういうことを考えるきっかけになればうれしいです」

2020年パリコレの「ヘンリック ヴィブスコフ」のショーのコンセプトには、佐藤さんの経験もインスパイアされている。「行き詰まったときに感じることが原動力になる」。

いつしか自分の気持ちを押し殺すようになって、長い間苦しみ続けた佐藤さん。そこを経たからこそ、のびのびと生きる喜びを知った彼女の表情は、ますます晴れやかだ。今後の活躍にも注目したい。

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