仮面の奥の「実際の自分」がばれたらどうしよう
新しい恋人とデートをする。別れた後で、自分が恋人に好印象を与えたかどうか不安である。
相手の愛を確信できなくて不安になる人は、好かれよう好かれようと努力しながら、しつこくなって、結果として嫌われてしまう。
長いつきあいの恋人でも、2人の仲が少しでもギクシャクすると、恋人が自分を愛してくれているかどうか不安になる。
デートをして別れた後、あんなことを話題にしたから、品が悪いと思われて嫌われるのではないかと不安になる。食事中にあんなことをしたから、軽蔑されたのではないかと不安になる。
人間は、自分の価値が脅おびやかされると不安になる。
また、人は見捨てられる状況で不安を感じる。見捨てられるかもしれないと不安になるのは、人が皆淋さびしいからである。
いわゆる「良い子」は親の前で不安である。それは、自分の言動で親がいきなり怒り出すからである。親の機嫌がいいときでも、いつ怒り出すかと不安である。
従順が身についた、いわゆる「良い子」は、大人になってからも、なにをするにも人の許可を得ようとする。いちいち他人の許可を得る必要もない些さ細さいなことまで許可を得ようとする。許可を得ないと不安なのである。
不安なのは「良い子」ばかりではない。悪いことをしている人も不安である。
会社で経理をごまかし、ギャンブルに使ってしまった。いつばれるかわからないと不安である。
学生時代にカンニングをして試験をやり過ごし、なんとか卒業したが、会社に入ってからもなんとなく不安である。どこか自信がない。極端に言えば、替え玉を使って入学試験、卒業試験をクリアしてきたような生き方をしてきた人々も不安である。
実際の自分より自分を良く見せてしまった者はいつも不安である。
仮面の奥の「実際の自分」がばれたらどうしようと不安である。
毎日の不安で、少しずつ人生を消耗していく
「期待不安」という言葉がある。あることで失敗すると、次に同じような場面でまた失敗するのではないかと不安になることである。
人前で赤面してしゃべれないということが一度あると、次に人前に出るとき、出る前から、赤面してあがってしゃべれなくなるのではないかと思って不安になる。
これが「期待不安」である。
そういう人は、今に生きないで、先を予測しすぎて不安になっている。ここに書いてきたこれらの不安は、主として自分の価値が脅かされるときに感じる不安である。
それ以外にも私たちは、将来の不安、未知の不安に怯える。
日本人はよく人見知りをするといわれる。あるいは外面がいいといわれる。この人見知りも、外面の良さも、見知らぬものへの恐怖と不安である。その不安や恐怖から、自分の必要性を犠牲にして迎合する。
自分の価値が脅かされる不安であれ、未知の不安であれ、自分の存在が脅かされる不安であれ、人はあれやこれやで毎日が不安である。
なにがあってもまったく平気だという人はいない。
人はそうした不安で消耗し、人生に喜びを感じなくなる。
人は毎日の不安で少しずつ消耗していく。そして、やがて肉体的に疲れていても、心理的には不安で、夜は眠れなくなる。最後にはうつになったり、無気力になったり、とじこもって人を恨うらんだり、反社会的行動に走ったりする。
こうして、たった一度の自分の人生を挫折させていく。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。