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哲人・安岡正篤は“時の指導者”たちに「運命」をどう説いたか?



2020年12月10日 公開

安岡定子(道徳評論家)

安岡正篤
(写真:安岡定子氏所蔵)

コロナ禍に苛まれる日常生活のなかで、自分の「生き方」について、さらには「運命」というものを改めて見つめて、問い直す機会としている人も沢山おられるのではないだろうか。

本稿では、そうした現在を生きる私たち日本人に有益な示唆を与えるであろう「安岡正篤」の講話の一部を、孫娘であり、現在、公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長の安岡定子氏が紹介する。

"宰相の指導者"とも称された安岡正篤氏。「運命」と題されたこの講話で、同氏は「運命というものをどう考え、そしてどう生きるか」について教え諭している。混迷の時代を生きるうえで、この先人の教えは、心に染み入ることだろう。

※本稿は、安岡正篤(著)『[増補新版]活眼 活学』(PHP研究所)に収録された講話をもとに、安岡定子氏が抜粋・紹介したものです。

 

祖父と私―訪れた運命的な出来事

コロナ禍によって、日本中が、いえ、世界中が大変な状況にあるなかで、私には、私自身にとって「運命的」とも「宿命的」ともいえる出来事が起こりました。

今年の夏、尊敬する祖父(安岡正篤)の思想や活動の継承を主目的とする公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館の理事長職を引き受けることになったのです。

「運命」とは――。思い起こせば、祖父は、東洋思想や多くの古典から得た知識をもとに、運命や宿命といったものについてよく言及をしていました。最新刊『[増補新版]活眼 活学』のなかにも、「運命」と題した講話がありますが、そこで祖父は、次のように語り始めています。

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ローマの昔、キケロとかセネカという偉い人たちがおりましたことは、皆さん御承知でありましょう。そのキケロが、こういうことを申しております。彼らは他人に向かって語ることを学んだ。

しかし己に向かって語ることは学ばなかったと。またセネカは、世に学者なる者が出てから、遂に有徳者を見ない。キケロは、人はむしろ不学―学ばざるにしかぬ。こういうことを申しております。

孟子ではないが、随分偉い人に会っても、ああ、なんとつまらないことを言う人かと思わずにおれないような、人間的には全く稚拙というか、できそこないというか、なっていない人が多くて、

こんな人々によって教育や政治や、いろいろの社会事業が行なわれたのではたまらないと、窃かに嘆息させられることが少なくありません。鸚鵡(おうむ)も人間らしいものを言う。くだらん人間でも大したことが言えるものであります。
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祖父は昭和の歴代の首相の指南役ともいわれていましたから、こうした人間に対する厳しい批評が時折、著作には出てまいります。

私からすれば、少し放言が過ぎるように思うこともあるのですが、案外、多くの一般の方々と同じような感覚をもっていたことも確認でき、その点では親しみを感じることもあります。

また、このように、どこからともなく古典の知識を引っ張りだしてきて、話を展開していくところに、いつも驚かされます。

私は、多くのお子さんたちに『論語』を教える塾をひらいていますから、古典の言葉を、祖父のように「もっと自由自在に使いこなせる人間になれたらいいのに」と日々思います。

そして、どこの家庭にもいるような、厳格だけれども穏やかで、いつも優しい眼で孫の私を見守ってくれていた祖父が、多くの著作を残してくれたことをほんとうに有難く思っています。

 

先が見えにくい時代にどう生きるか

同書『[増補新版]活眼活学』で、祖父はさらに、現在のような先が見えにくい時代のなかでは、まず「自分」というものをよく理解して生きることが大切だと強く説いています。

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日本はこれからますます物事が難しくなるでしょう。本物と偽物との区別がつかず、陰謀策略がしきりに行なわれ、専門的知識技術が何を作り出すやら分からず、非常なスピードで変化していく時代に、どうして自分を正しく立てていけば好いでありましょうか。

この「自分」というのは大変好い言葉であります。何気なく使っておりますけれども、時々日本の俗語の中には、こういう立派な言葉があります。

あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無礙な一致を表現して「自」 と「分」 とを合わせて「自分」という。

我々は自分を知り、自分を尽くせばよいのであります。しかるにそれを知らずして、自分自分と言いながら、実は自己、私をほしいままにしておる。そこにあらゆる矛盾や罪悪が生じるのであります。

何でもないことのようで、実は自分を知り自力を尽くすほど難しいことはありません。自分がどういう素質能力を天から与えられておるか、それを称して「命」と申します。

それを知るのが命を知る、知命であります。知ってそれを完全に発揮してゆく、即ち自分を尽くすのが立命であります。
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