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生き方

「家出した夫を待ち続ける妻」の人生が悩むことでしか救われない理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年11月17日 公開 2023年07月26日 更新

 

相談者女性の「信じ抜く」の真意

心の中の苦しみが、外で起きていることを通して現れてくる。この外化という心理は否認を含んでいる。

夫に好きな人ができて、夫は家を出て行ってしまった。その時に「夫は帰ってくると信じています」と彼女は言った。これが外化である。

しかし心の底のそのまた底では、彼女も夫は帰ってこないということは分かっている。しかし「帰ってこない」という現実を否認している。

ある女性は夫から「好きな女性ができて、離婚してくれ」と言われた。

しかし彼女は「帰ってくると信じています」と言う。そして最後に「信じ抜くことに決めました」と言った。

それは「現実を否認し続けることに決めました」ということである。心理的に言えば、「私は成長しないことに決めました」という意味に等しい。

現実と直面することを避けた彼女は生涯悩み続け、嘆き続け、自らの運命を恨み続け、自らの不幸を訴え続け、死ぬまでみじめさを誇示し続けるだろう。

彼女にとってこれからの人生は、悩むこと以外に生きる方法はない。悩むことが生きることであり、悩むことが最大の救いであり、悩むことが唯一の救いである。

彼女は悩まなければ生きている実感を失う。

彼女に「悩むな」と言うことは「死ね」と言うことである。

したがって、無意識に蓄積された怒りがない人にとってみれば、「なんで誰にでもあるそんな些細なことをなぜそこまで大騒ぎするの」と疑問に思う。

ふつうの人にはその人が大げさに嘆いているように感じられる。しかし嘆いている人は大げさと思っていない。

「悩むまい」と思っても悩まないではいられないのだから、それは悩み依存症である。

悩むことはつらいし、自分のためにはならないけれども、悩まないではいられない。それが悩み依存症である。

悩み依存症は、悩むことを通して蓄積された怒りや憎しみを表現している。だから悩みを自分で作る。悩みがなければ、抑圧された憎しみを表現する場がなくなる。

したがって悩んでいる人は悩んでいる時が救いなのである。あるいは悩んでいる時に心が安らぐと言っていいかもしれない。

つまり安らぐのは、悩むことで憎しみを間接的にしろ、とにかく表現できているからである。

この悩み依存症のさらに進んだ段階がうつ病であろう。悩みと「現実の困難」とは違う。この悩みは神経症的苦しみである。

うつ病は現実の困難が原因ではなく、神経症的悩みが原因である。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。    

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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