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生き方

「マザコン夫と義母の同居圧力」に嘆く妻だけが犠牲者だと言い切れないワケ

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年10月18日 公開 2023年07月26日 更新

 

「受け身の人」の人生はなぜうまくいかないのか

「自分はこんなに被害を受けた」と言ってばかりいる人がいる。

しかし、もしそれが本当なら、その被害を乗り越えて、自分が今日あることを誇れるはずである。

そのように自分の過去を誇れないで、被害を受けたことばかり言っている人がいる。その人はもしかすると、実際にはそれほど被害にあっていないのかもしれない。

いつまでも文句をいう人は、単に神経症的愛情要求が強いから、被害にあったように思い込んでいるというだけのことかもしれない。

もう一つの可能性がある。受け身の人である。

相手との関係を常に被害者意識で解釈する。人生にはいろいろなトラブルがある。問題は、そこから何を学ぶかということである。

レジリエンスのある人は、自分は過去に犠牲者であったと認識しながらも、同時に自分を今は犠牲者と見ていない。

むしろ、それよりも自分は幸せのエージェント「agent=代表者」であると信じている。

 

逆境から逃げる人の末路

離婚した親戚の子どもの養育費を、毎月送りながら生活していた人がいる。真面目で正直で努力家である。自分は飲みたい酒も飲まないで節約しながら、姪をせめて高校だけは卒業させてあげなければと、頑張って仕送りをしていた。

それだけ日々人のために努力しながらも、姪は卒業しても感謝を表さない。

会ってもやはり「有難う」を言わない。その母親も「有難う」を言わない。それどころか、高校を卒業してから仕送りを止めたことを不服にさえ思っている様子である。

この人はどこかで「自分の生き方に問題があるのではないか」という反省をしなければ、またこのひどい仕打ちは繰り返される。

真面目な人で、働き続けて騙され続けて、その上に周りの人から馬鹿にされ続けてしまうのは決意がないからである。

「やり返そう」ともせず、被害者意識で物事を解釈している人は、もともと自分が正面から直面しなければならない困難と戦わなかった。

逆境を乗り越えたのではなく、むしろ逆境から逃げた。自分が周囲の人に気に入られたいから、無意識のどこかに自分から、ずるい人を引き寄せた部分があったに違いない。

 

戦わない人は舐められる

ずるい人は皆、弱い人を食い物にして生きていこうとしている。

弱い人は、基本的には淋しい人なのかもしれない。そこで相手の好意が欲しくて、ついつい失礼な要求にも「いい顔」をしてしまう。

戦わないでいると、自分が舐められていることに気がつかない。そういう人は自我の確立がなくて、孤独に弱い。

アメリカの心理学者ダン・カイリーは「孤独は商業主義のカモである」と言うが、「孤独は商業主義のカモ」であるだけではない。「全てのずるい人のカモ」である。

たとえばこうして長年、人から利用されてばかりいる人が、

「自分は愛情飢餓感に苦しめられているのだ」
「自分は心理的成長に躓いている」

などと気がつかないかぎり、また同じように誰かに利用される。

むしろ本当に直面しなければならないことは、自分はこれらの人々に軽く見られているという現実である。

淋しい人は「お金では感謝も尊敬も得られない」ということが分からない。感謝や尊敬が欲しくて、それを求めてお金を使ってしまう。

いつも騙される人、いつも軽視される人には、深刻な劣等感がある。だから、相手のそれらの行動を許してしまう。

カモにされて利用されていることを、仲間から頼られていると解釈する。感謝や尊敬が欲しくて、やたらに頭を下げてしまう。

周りに集まってくるのは質の悪い人ばかりである。

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ファイティング・スピリットは「よい人生」のカギ

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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