1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「誰にも感謝されなかった」と恨む人がいつまでも不幸な理由

生き方

「誰にも感謝されなかった」と恨む人がいつまでも不幸な理由

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年03月23日 公開 2023年07月26日 更新

 

重荷を潔く背負えるかが運命を分ける

ものごとをどう受け止めるかは、その人の心しだいである。

姪に毎月教育費を送って高校を卒業させてあげた人が、毎月教育費を「送らされた」と被害者意識で考えれば、姪とその母親を恨むだけで終わってしまう。

したがって自分の生活を切り詰めながら送った、せっかくのお金は活きてこない。

しかし、自分は「あの姪を卒業させた」と能動的に捉えるならば、その重荷を背負い切ったということで自信がつく。

兄の仕事の失敗の尻拭いを「させられた」と被害者意識で受け取れば、感謝をしない兄を恨むだけで、その人の成長はない。

しかしレジリエンスがあれば、自分は兄の事業の失敗を尻拭いしてあげたと能動的に受けとめ、たとえ兄が感謝をしなくても、神が自分に与えてくれた自分の力に感謝するようになる。

そしてもうそのようなことを二度と繰り返さないであろう。

被害者意識を持つか、持たないかは非常に重大な違いである。

人から感謝されようとしてお金を使うことが全く効果のないものだということを、骨身に染みて分かるからである。この体験からしっかりと学ぶことだ。

愛情から相手を救う、感謝を期待しないで相手を救う、その結果として相手が感謝することはある。

しかし尊敬と感謝を期待してお金を使っても何の効果もない。その場合には大抵は恨みだけが残る。

そしてそのように能動的に解釈して、人の問題を解決してあげたら、その人には「品格」が出る。

歳を取っても味のない顔の人と、味のある顔をしている人の違いは、過去にどれだけ重荷を背負ったかということである。

逆に重荷を逃げる人で、最後に恨みを持つようになる人がいる。

神経症的な人がいつになっても自信を持てないのは、常に安易さを求めているからである。

 

満足をもたらすのは結果そのものではない

口だけで「自信が欲しい、自信が欲しい」と騒いでも自信はつかない。

重荷を背負って苦闘してこそ自信がつく。社会的に成功していても自信のない人がたくさんいる。

それは重荷を背負わずに要領よく立ち回り、「幸運」で成功したからである。

しかしそんな成功を手にしても、人生を生き抜く上で何の役にも立たない。そのような成功は心の落ち着きをもたらさない。

しかし重荷から逃げないで正面から背負い、一つ一つ問題を解決した人は社会的に成功してもしなくても自信がつく。心の落ち着きが得られる。

問題は結果ではない。どう対処したかということである。

レジリエンスのある人は、成功しても失敗しても心の安定がある。それは状況にどう対処したかというスタイルに、満足しているからである

レジリエンスのある人とレジリエンスのない人では、何に満足するかということが違う。どういうことで気持ちがよくなるかが違う。

何が喜びかも違う。

レジリエンスのある人が大切にするのは、「かたち」ではなく「心」である。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。   

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×