理性を豊かにすることで得られるもの
著者は「幸福とは肉体的、精神的快楽を得ることにあるのではなく、理性を豊かにし、自らの生活信条にかなった生き方をすることにある」と表現しています。
理性を豊かにするとは、言葉を変えると、知性を磨くことで様々な立場の人や様々な状況の構造を理解するということかと思います。まず対象を理解することができれば、不要な感情にまどわされることが少なくなります。そして、より安定した存在となった客観的な自分を駆動できます。
それにより、今まで以上に多くの時間を自らの生活信条にかなった生き方ができるのかもしれません。自分の意思で調整できる範囲をできるだけ広げ、自分の時間を主体的に過ごすような感覚でしょうか。
自分の時間は自分が最も理解している
いつも忙しそうにしている人がいます。しかし効率よく多くのことをしている人は、もっと静かに粛々と対応していることが多いものです。バタバタしている人は自分で時間をグリップできておらず、粛々と物事を進められる人は自分で時間をグリップできています。
怒りがどのようなときに生じるかというと、大体の人は、自分にとって害が生じるようなことを他者がしていて、なぜそのようなことをするのか相手の立場で理解ができない状況のときに怒るようです。一度怒りが生じると、脳がジャックされて、相手と戦うモードになってしまいます。それは自分の時間とはかけ離れたものです。
よく、教養とは何か、ということが語られます。自分が人と話している中で思うことは、教養のある人は知識量の多寡にかかわらず、様々な立場の人を十分に想像できて、その理解を踏まえて判断できる思考力がある方と言えそうな感覚があります。怒りや嫉妬や嫌悪という感情とは一定の距離感を保てている、心が安定した存在に近づいた方とも言い換えられます。
様々な立場の人を想像するためには、適切な学びや経験の量が求められます。自らを高める努力をしっかり取るために、自分の時間が必要なのだ、というように理解することもできます。
自分の時間をとって自らを高める努力を重ね、少しでも成長を実感できれば、人生を豊かにしていると言えるでしょう。そしてそのような成長は、ずっと同じ場所にとどまるよりも心の安定をもたらしてくれます。人の心は一輪車のように、止まっている時より動いている方が安定しやすいです。積極的な安定を築くために、いい時間の使い方をしたいものです。
著者によると、本書はまったくやる気のない人のためではなく、「いかに人生を生きるべきかということに関心をもっている人たち」が対象だといいます。それが自分だと思う人にとって、本書は触れておきたい一冊です。