会社は和気藹々であってはいけない
「うちの社風は和気藹々として、楽しい会社です」自慢げに、そう言う社長がしばしばいる。それは経営を理解していないと露呈しているようなものなので、早々にやめたほうが良い。
「和気藹々」は、家族や友人関係を語るのにふさわしい言葉だ。そこでは、もっとも弱い人にペースを合わせることが、思いやりのある良好な関係を作りだす。小さな子どもに合わせたり、高齢者に合わせたり、友達同士の遊びなら、うまくできない人に合わせてハンデを設けたりすることで、誰もが安心できる。
だが、同じことを会社に当てはめてしまうと、1番パフォーマンスの悪い人にペースを合わせることになってしまう。
組織の望ましい社風は、和気藹々ではなく切磋琢磨だ。社員同士が「あの人も頑張っているから自分も頑張ろう」と思えるような関係を作らなくてはいけない。
しかし、勘違いしないでほしい。これは、ギスギスとした競争意識とは違う。ここを間違っている経営者も多い。ノルマを課して尻を叩き、営業成績を競わせたりすることが「厳しくて良いリーダー」だと思ったら大間違いだ。
ドラッカーは「マーケティングの究極の目的はセールスを不要にすることである」と言っている。商品やサービスそのものが、世の役に立ち、人に喜ばれる価値を持っていれば、「買ってください」と頼み歩く必要はないからだ。
管理は「指示待ち」を蔓延させる
管理の対象とすべきは品質や物量や工程であって、人ではない。
人の管理とは、人の行動プロセスを監視することを意味する。何時から何時までは何をしていたかなどを逐一報告させたり、その真偽を調べたりする。管理される側にとってはストレスフルだし、管理する側も煩わしい作業が増える。
管理にメリットがあるとしたら、ローパフォーマーの成績が少しばかり上がることくらいだ。それ以上に、ハイパフォーマーの自由闊達な行動が抑制されるデメリットが大きい。
結果、「指示待ち」が蔓延する。管理される状態に慣れた社員は、言われたことしかやらないようになる。自分で考えて動く能力が錆び付いてしまう。そして、そのうち、言われたこともやらなくなる。
大企業の社員は残念ながら、ここに陥りやすい。システムができあがった場所で、一社員の裁量などわずかだ。結果、行動力も発想力も伸び悩む。
その点、中小企業では、経営者も社員も、行動力や発想力を鍛えやすい環境にいる。と言うより、その両方がなくして、成功などできるはずがない。