一律平等こそが、社員の幸せを実現する手段そのもの
「なぜ会社の平等は重んじられるのか」その理由が、ぼくにもやっとわかりました。
ぼくはずっと、日本企業のしくみが一律平等であることが悪いことのように考えてきましたが、それは大きな誤解でした。
生活ができない、人権を踏みにじられる...だれにとってもそれが不幸だと感じられる差別がある場合には、まずは、そうした状況にある人たちが平等な世界を目指していく必要があります。一律平等にしていくことこそが「1人の人間として重視されている感覚の薄さ」を打ち壊した時代があったのです。
また日本では、その歴史的経緯から平等であるべき対象、つまり仲間意識(メンバーシップ)を感じる相手が、欧米のように「同じ仕事をしている人」ではなく「同じ会社にいる人」になりました。そのため、日本は「企業のメンバーシップ」が強く、欧米では「職種のメンバーシップ」が強い傾向にあるとも言われます。
(労働組合の組織率は年々下がってきていますが)現在も企業別労働組合が主流で、企業を横断した連帯意識を持ちにくい日本社会では、依然としてその傾向は弱まっていません。
「会社の平等」を重んじることこそが、社員の幸せを実現する手段そのものだった時代があった、ということをぼくは学びました。そして、その思想を体現するような企業別労働組合の存在や、その裏返しとして、企業横断的な基準やルールが発達していないという日本社会の構造によって、その意識が今日まで続いていることも知りました。