おいしくて柔らかいパン――利益よりも、必要とする人に
2013年11月07日 公開 2023年01月05日 更新
大卒後に2年の丁稚奉公 修業に耐え、意識変わる
私が父のパン屋に戻ったのは、この移動販売を始める数年前、1970年代後半のころです。先に述べたように、強く説得されて戻ったにもかかわらず、なぜかすぐに追い出されてしまいました。丁稚奉公に出されたのです。
修業先は、かつて東京の杉並区にあった「マルシャン」というパン屋さん。見習いを集めてパンづくりの技術を教える、名物おじいちゃんがいました。私の住まいは、工場の上にあった倉庫。2段ベッドが並んだ窮屈な部屋に、ファンシーケース一つで入門しました。
最初の半年はとにかくつらかった。中卒・高卒で入門する人が多かったため、周囲は大卒の私よりも年下ばかり。でも、職人の世界はタテ社会ですから、年下であろうと、先に入門した人が先輩です。
入門初日に、「帰りたい」と実家に電話をかけました。すると父は、「せっかく勤めさせてもらったのだから、1週間待て」と言う。それで1週間後に「帰りたい」と電話したら、今度は「1カ月待て」と(笑)。そうこうしているうちに徐々に気持ちが落ち着き、幸いなことに今の家内とも出会い、修業期間の2年を終えることができました。
不思議なもので、再び栃木に戻ったときは、「パン屋は自分の職業」という意識が芽生えていました。小さいころからパンづくりの現場を見ていましたし、すでに基礎がつくられたパン屋を継げるのは、楽だとすら思えてきたのです。