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鈴木明子のフィギュア観戦術(2)ソチオリンピックの舞台裏

鈴木明子(プロフィギュアスケーター)

2015年12月25日 公開 2015年12月25日 更新

国の期待と重圧を背にメダルを獲ったロシア選手

ロシアは今回、自国開催ということもあって、数年前から選手育成に力を入れていました。

国の威信をかけてソチオリンピックの女子代表に選んだのが、団体戦で大活躍したユリア・リプニツカヤ選手であり、金メダルを獲得したアデリナ・ソトニコワ選手でした。

国の期待と重圧に若い選手が耐えられるのだろうかと思いましたが、彼女たちは歓声を味方につけて堂々と滑り切りました。「強い!」のひと言でした。

ロシア選手の勢いに押された形にはなりましたが、ブランクのあったキム・ヨナさん(韓国)はそれをまったく感じさせない滑りを見せ、銀メダルを獲得しました。彼女のメンタルの強さはとても真似できません。

韓国のフィギュアスケートはこれまで彼女がすべて背負ってきました。若い選手が少しずつ育ってきてはいますが、キム・ヨナさんを脅かすような存在はいません。それだけに、ソチではかなりのプレッシャーはあったはずですが、サラッと滑っているように見えるのがすごい。女王の貫録がありました。

3位になったカロリーナ・コストナー選手(イタリア)は私と同世代のスケーターで、ジュニア時代からよく戦っていました。彼女は誰もが認める実力を持ちながら、10代後半から20代半ばまで本番で十分に力を出すことができませんでした。

コストナー選手はほんとうに気持ちが優しくて、イタリア人らしい陽気なタイプではなく控えめな選手です。優しい性格が本番で力を発揮することを邪魔していたのかもしれません。

しかし、自分の武器を磨きに磨いて、見事に銅メダルをつかみました。彼女もソチを集大成と考えていたと思いますが、プレッシャーを感じることなく、自分自身のスケートを楽しんでいるように見えました。優雅で優しくて品のよい演技は、まさにコストナー選手ならではのものでした。

彼女の滑りを見ていると、「フィギュアスケートはこれだ」と思います。私には女神のように見えました。

バンクーバーオリンピックで戦った外国人選手はその後も現役を続けた人が多かったのですが、ソチで引退する選手がたくさんいました。みんな、ジュニア時代から見ていた顔ですが、同じタイミングで「卒業」を迎え、ひとつの時代が終わったように思います。

年齢はそれぞれ違いますが、活躍した時代が同じだったのでなおさらそう思うのでしょう。

ソチオリンピックを境に、選手が大幅に入れ替わりました。

オリンピックが終わったあと新ルールになったこともあり、ロシア勢をはじめとして、どんどん若手が頭角を現してきています。日本の選手たちも負けてはいられません。

2018年の平昌オリンピックまでまだ少し時間はありますが、戦いはもう始まっています。

著者紹介

鈴木明子(すずき・あきこ)

プロフィギュアスケーター

1985年生まれ。愛知県豊橋市出身。6歳からスケートを始め、15歳で全日本選手権4位に入賞し注目を集める。10代後半に体調を崩し大会に出られない時期もあったが、2004年に復帰。10年バンクーバーオリンピック代表の座を獲得し、8位に入賞した。12年世界選手権銅メダル。13-14全日本選手権では、会心の演技で13回目の出場にして初優勝。14年ソチオリンピックでは、同大会から正式種目となった団体戦に日本のキャプテンとして出場し5位入賞、個人戦では8位入賞を果たす。14年の世界選手権出場を最後に、競技生活からの現役引退を発表した。引退後はプロフィギュアスケーター、振付師、解説者として活動の幅をさらに広げている。

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