買い物依存症~なぜ、やめたくてもやめられないのか
2016年02月18日 公開 2023年01月11日 更新
PHP文庫『やめたくてもやめられない人』より
「買いたい!」という衝動を抑えられない!
買い物依存症も深刻な社会問題になっています。その根底に潜んでいるのは、「自らの衝動をコントロールするのがきわめて困難」という病理です。もちろん、「衝動買い」という言葉があるくらいで、欲しいとか手に入れたいという衝動を抑えきれずに買ってしまい、後から後悔する人は昔からいましたが、最近増えているようです。買い物依存症のせいでカード破産に陥ったり、夜逃げしたりするような人も後を絶ちません。こういう人は、買いたいという衝動をどうしても我慢できないようです。平均以上の知能の持ち主であっても、自分の現在の収入でその商品を買ってしまったらどういう事態になるかということを考えられません。たとえそういう事態を予想できたとしても、買うという行為を中断することはできません。自分が買いたいという衝動にとらえられていることすら自覚できず、買ってしまうのです。
その背景にあるのは消費社会の構造的問題です。現代の消費社会は、新製品を開発し、それを買いたいと思わせるように消費者を誘惑することによって成り立っています。当然、それが必要だと思わせるような宣伝が絶え間なく流されます。こうした宣伝は、消費者の欲望をかき立てるために過激になる一方です。しかも、いつでも、どこでも流されています。
宣伝は絶え間なく消費者を誘惑しようとします。「○○というブランドの洋服を買わなければならない。これまでにはなかった革命的なモードなので、すぐに着てみなければ」とか、「△△というブランドの洋服こそ本物だ。現代では失われた優雅さを是非味わってみなければ」というふうに。ほとんどの大企業が相当な額の宣伝費を投じている事実は、消費行動がある商品がどうしても必要だからという理由だけで決定されているわけではないということを示しているように思われます。
このような宣伝は、フランスの哲学者、エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas)が「誘惑の誘惑」と呼んだものに駆り立てられているように見えます。「さまざまな人生の可能性を享受し、濫費し、繰り広げるべきだ」という価値観に西欧人はとらわれているとレヴィナスは述べていますが、同じような価値観を現代の日本人の多くも持っています。そういう価値観に沿った人生を送るためには、これこれの商品を買うしかないという気持ちにさせるべく消費者を誘惑しているのが宣伝ではないでしょうか。
見逃せないのは、宣伝が消費者の根底に潜んでいるある種の欠落感に巧妙につけ込んでいることです。自分には□□が欠けているのではないかと何となく感じている消費者に忍び寄り、そういう欠落感はこれこれの商品を買うことによってしか満たされないというふうに思い込ませて誘惑するわけです。
これは、欲望の本質を熟知しているからともいえます。古代ギリシャの哲学者、プラトンの名著『饗宴』(久保勉訳、岩波文庫)の中に、ソクラテスが「自分が持っていないもの、自分がそうではないもの、自分に欠けているもの、それこそが欲望と愛の対象になる」と語る場面がありますが、まさに本質を突いているのではないでしょうか。
こういう欲望の特質を金もうけに利用しようとする輩はどこにでもいます。
その典型が「コンプレックス商法」でしょう。体型や肌の状態など、本人が他の人と比べて劣っているように感じている部分に関するコンプレックスを刺激して、高額商品を購入させようとするわけです。必ずしも詐欺とはいえないのかもしれませんが、補整下着や美白化粧品なども、この範疇に入るのではないかと思ってしまうのは、私自身が大枚はたいて使ってみたものの、あまり効果を実感できなかったという苦い経験があるからかもしません。
というわけで、私自身も宣伝にだまされた経験から痛感するのは、宣伝が買い物依存症のイネイブラー(支え手)になっているということです。アルコール依存症患者の周囲に、酒代を与えたり、飲酒による不始末の尻ぬぐいをしたりするイネイブラーが存在することが多いのと同じように、買い物依存症に陥って自己破産する羽目になるような人にとっては、宣伝やクレジット会社などがイネイブラーになっているように見受けられます。
宣伝もクレジット会社も消費社会が存続するために不可欠とはいえ、罪深いなあと思わずにはいられません。