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「花は無心に蝶を招く」という生き方

2017年02月25日 公開

枡野俊明(建功寺住職、庭園デザイナー)

花は無心に蝶を招く

ありのままの姿で生きる

禅寺では、お寺によっては、一般人を招いて坐禅会を開きます。

研修として、社員に坐禅を取り組ませる会社もあります。

私も本山修行時代に坐禅会の指導役を承る機会もありましたが、以前面白い経験をしました。

ある大手企業の管理職を対象にした坐禅会でした。

いつも大勢の部下に囲まれている人たちですから、さすがに威厳があり、威風堂々としています。しかし私たち禅僧から見れば、どこか「無理をしている感じ」がします。

立場が偉い人ほど、「ねばならない」という意識にとらわれている人が多いのですね。

「部長だから」

「取締役だから」

「社長だから」

さて坐禅会が始まります。

禅では、当然ですが、自分のことはすべて自分でしなければなりません。

坐禅では坐蒲(坐禅用の蒲団)を腰にあて坐わりますが、自分が使う坐蒲は自分で持ち運んでこなければなりません。

しかしふだんは「部長、座布団をどうぞ」と、部下が差し出すところへ、自分はただ坐るだけ、ということにすっかり慣れ親しんだ人たちです。

もしかしたら心の内に、自分でもってくればいいと考えていても、「坐蒲をみずから用意するなんて、部長のする行いではない。部長たる者、坐蒲は部下にもってこさせなければならない」といった気持ちがあるのかもしれません。

ですから中には、こちらに「坐蒲をもってきてもらえませんか」といってくる人さえいます。

もちろん「喝!」と叱るわけです。

また、ふだんは職場で部下たちを叱りつけている人たちが、坐禅では警策で容赦なく右肩を叩かれます。

お偉い方々は、ある種のカルチャーショックのような強い衝撃であるようですが、しかし面白いものです。坐禅会が終わると、当初「どこかで無理をしている」といった感じがすっかり洗い流されて、「部長としての顔」から「ひとりの人間としての素顔」に戻っているのです。

ご本人にも、じつは心のどこかで、「ねばならない」という意識が心の重荷となっていたのではないかと思います。

その重荷を、坐禅会をきっかけにして手放せます。

お偉い方々に失礼になるかもしれませんが、何か赤ちゃんのようなほがらかな、のびのびとした表情になっているのです。

「花は無心に蝶を招く」

良寛さんの言葉です。

部長だから、重役だから……と、肩肘張ったところがありません。

よけいな考えにとらわれずに無心でいる。

ありのままの姿で生きている。

そうであっても、花が蝶を招くように、周りの人たちの信望を集めていく。

もっとも美しい、人の生きる姿であろうと思います。

 

※本記事は、枡野俊明著『手放すほど、豊かになる』(PHP文庫)より一部を抜粋編集したものです。
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著者紹介

枡野俊明 (ますの・しゅんみょう)

曹洞宗徳雄山建功寺住職

1953 年、神奈川県生まれ。多摩川大学農学部卒業後、曹洞宗大本山總持寺で修行。庭園デザイナーとして国内外で活躍、2006年の「ニューズウィーク」誌で「世界が尊敬する日本人百人」に選ばれる。現在は曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授も務める。『禅、シンプル生活のすすめ』(三笠書房)ほか著書多数。

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