残業上限規制で会社はどう変わる?
働き方改革は「経営者に覚悟を求める」ものだと思っている。今後、経営者は「24時間働けて、いつでも転勤可能な社員」という経営資源を失うのだから。
2016年3月末「働き方改革実現会議」にて、「働き方改革実行計画」(案)が示され、法改正による、日本初の「罰則付き時間外労働の上限規制」が導入されると明記された(施行は2019年を目指している)。
私は一億総活躍国民会議から働き方改革実現会議の議員として、計18回の会議に出席し、「長時間労働是正」「時間外労働の上限規制」を提言してきた。この規制をやり遂げたいというもっとも強い意思を持っていたのは誰か。会議の現場にいた筆者は、それはほかならぬ安倍総理だったと感じている。
しかし、一強と言われる安倍政権にとっても、経済界の抵抗はすさまじいものがあったのだろう。「時間外労働の法的上限規制」について労使が合意したのは、会議の終了期限である、3月のラスト2回の1日前。実行計画が民間議員に配布されたのは、最後の会議の直前。それほどギリギリのせめぎ合いがあった。
残業上限の規制について、マスコミでは「100時間以上か未満か」に注目した報道が多く、「100時間、残業させてもよくなったんだ」と誤解している人もいるぐらいだ。
しかし、確実に空気は変わりつつある。2017年の1月ぐらいから「政府が上限に本気だということで、一部上場企業の経営者はザワザワしている」と教えてくれたのは、前述のサイボウズの青野社長だ。
今回決まったのは「年間の残業は労使で合意した最長でも720時間(月平均60時間)、それ以上1時間でも、一人の社員でも残業したら罰則」という厳しいものである。この60時間は長いのか、短いのか?
ロイターの調査では「新たに導入される残業上限規制の結果、事業に支障が出ると回答した企業が約四割にのぼった」という(資本金10億円以上の中堅・大企業400社を対象に2017年4月7日〜17日に実施。回答社数は約250社)。
そして7割の企業が「生産性向上」などの取り組みを検討するとのことだ。月平均で60時間以上働く就業者は全就業者のうち11.9パーセント。運輸、建設、宿泊、飲食などのサービス業が多い(総務省 労働力調査2016年)。
しかし、労働力調査(実際に働いている人が答えた労働時間)と厚労省の毎月勤労統計(雇用者が答えた労働時間)にはじつは300時間近くも差がある。「2014年における、労働者一人当たりのサービス残業は1カ月24.3時間」だったと東京新聞の中澤誠氏は指摘している。
残業上限に違反した場合、誰に罰則が来るのか。電通の件を見ていただきたい。経営者や該当する事業場の長、直属上司も書類送検されている。電通の石井直社長が責任をとって辞任したことは、経営者にとってショックを呼ぶとともに、働き方が変わるひとつの節目だった。
経営戦略としての働き方改革
まず働き方改革にまつわる誤解を2つ解いておきたい。
1つ目は、法改正のポイントだ。「100時間以上か、未満か」が注目されたが、今までとの大きな違いは、別なところにある。
それは、時間外労働に法改正による「罰則付き上限規制」が入ったことである(今までは大臣告示で強制力がなく、事実上、残業時間は青天井だった)。法規制により、これまで「遵法意識」が低かった会社も変わらざるを得ない。
2つ目は「個人の働き方が悪い」のではなく「ビジネスモデルから変える必要がある」ということ。「福利厚生」や「ただの時短や生産性向上」ですむ問題ではない。経営改革であるということだ。
時間外労働の上限規制、そのポイント
「働き方改革実現会議」で決まった「時間外労働の上限規制」は経営者にとっては厳しいものである。
「時間外労働の罰則付き上限規制」のポイントを4つ挙げたい。
POINT1
今までは「厚労大臣告示」で強制力のないものであったが、70年続く労基法上初めて、時間外労働に罰則付き上限規制が入った。それまでは事実上、青天井だった。
POINT2
時間外労働の上限は、最長でも年間720時間(月平均60時間)。特別な場合として労使の合意が必要。
POINT3
原則45時間を上回る場合、2~6カ月以内で、平均は80時間以内。繁忙期の最長は単月で100時間未満。特別な場合として労使の合意が必要。
POINT4
原則として時間外労働は月45時間年360時間で、それに近づける努力が求められる。
労務関連の弁護士には「80時間でも過労死の判決が出ている。100時間未満を認めることは、事実上の後退ではないか」と厳しく評価されたが、経営者にとっては、この法改正が入ることはかなりの痛手だ。
そして「働き方改革は経営改革」ということだ。人材が豊富だった頃の、またコンプライアンスが緩く、正社員を無制限に働かせていた時代につくったビジネスモデル自体を改革しなければいけないという、かなりの大事だ。
「個人が生産性向上してがんばって残業を減らしましょう」というだけなら、むしろ企業にとっては残業代も浮くし、大歓迎。法的上限規制に経済界があれだけ抵抗をするわけがないではないか?
今こそ経営者の覚悟が問われるときなのではないだろうか。そして働く側に求められるのは「変われない経営者のもとを去る覚悟」なのかもしれない。
【白河桃子(しらかわ・とうこ)】相模女子大学客員教授、少子化ジャーナリスト、作家。東京生まれ、慶應義塾大学文学部社会学専攻卒。住友商事、外資系金融などを経て著述業に。山田昌弘中央大学教授との共著『婚活時代』(ディスカヴァー携書)で婚活ブームを起こす。少子化対策、女性のキャリア・ライフデザイン、女性活躍推進、ダイバーシティ、働き方改革などをテーマに著作、講演活動を行なう一方、「働き方改革実現会議」「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」などの委員として政府の政策策定に参画。著書に『専業主婦になりたい女たち』(ポプラ新書)など多数。