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「ジジイ文化」「意味不明な上司」を嘆いていた若者も、けっきょくは同化してしまう理由

河合薫(健康社会学者)

2018年05月01日 公開 2022年06月02日 更新

心は“習慣”で動く─ブルーナー博士の文化心理学

しかしながら、より厄介なのは現場で「これって意味ないじゃん」と口をとがらせていた社員までもが、出世した途端、“意味不明”の世界に埋没していくという現実です。
だって人間だから。人間は観念の動物であり、自分で解釈を変えることもできれば、見えているものを見えなくすることもできる。それが理由です。
トランプに「赤のスペード」と「黒のハート」を混ぜ、ほんの数秒だけ見せて「なんのカードだったか?」を聞くと、ほとんどの人が「スペードがハート」「ハートがスペード」に見えるそうです。
黒のハートの4を見せると「スペードの4」と答え、赤のスペードの7を見せると「ハートの7」と答えることが心理実験でわかっているのです(トーマス・クーン著、中山茂訳『科学革命の構造』みすず書房)。

なぜ、人は「黒のハートがスペード」に見え、「赤のスペードがハート」に見えるのか?
答えはシンプル。“当たり前”に囚われているからです。
このカードの実験は、米国の教育心理学者ジェローム・セイモア・ブルーナー博士(1915─2016)が行なったものです。ブルーナーは認知心理学の産みの親であり、文化心理学の育ての親で、「人の知覚」に関する研究に生涯を捧げました。
心理学における「知覚」とは、「外界からの刺激に意味づけをするまでの過程」のこと。
例えば熱いお茶を飲んだときに、皮膚が「温度が高い」という情報を受け取り、それに対して「熱い」という意味づけを行なうまでの過程が知覚です。
しかしながら、「知覚」には個人差があります。例えば、80度のお茶を飲んだとき、「熱い」と感じる人もいれば、「ちょうどいい」と感じる人もいる。「熱さ」の感じとり方は人それぞれ。猫舌なんて言葉があるのもそのためです。

また、そのときの状況によっても「知覚」は変わります。
はるか昔、私が国際線のCA(キャビンアテンダント)をやっていたときのこと。「私の手の皮はどんだけ厚いんだ?」と自分でも不思議に思うくらい、機内では熱さに鈍感になっていました。
食事のサービスは時間との戦いです。当時はギャレー(飛行機の台所)担当のCAは、オーブンで温めたお食事を次々とトレーにセットしなくてはなりませんでした。
エコノミークラスでは200名超、ビジネスクラスでも40名ほどのお客さんを「待たせる」ことなく、お茶を煎じ、カクテルを作り、回収されてきたゴミを片付けながら、アントレ(メインのお食事)をトレーにセットする。
新人の頃はオーブンミトンやらタオルやらを巻きながらやっていたのですが、先輩から「まだ?」と厳しくせっつかれ、耳にタコができるほど「熱いものは熱く」とサービスの基本を叩き込まれるうちに、ミトンなどなくても、機械のごとくセットできるようになりました。
人は必要に迫られると「きゃー、アッチチ!」などと反応することを忘れ、熱ささえ感じなくなる。知覚は人間の心理と密接に結びついて、心次第で大きく変わるのです。

先のカード実験でいえば、本来、「黒のハート」は「黒のハート」として見えるはずなのに心はそう見えない。
その理由について、ブルーナー博士は次の言葉で説明しました。
「知覚とは習慣(=文化)による解釈である」と。
そして、ブルーナー博士は「心は習慣で動かされる」と説き、1990年に文化心理学という新しい学問を提唱しました。
「心(mind)は、人間の文化(culture)の使用によって構成され、文化の使用において現実化する。人間は文化に影響を受けながら、意味づけを行なう」(J. Bruner “The Culture of Education”, Harvard University Press, 1996)。
なんともややこしい話ではありますが、私たちは「見えている」ものを見るのではなく、「見たいもの」を見ます。目の前に存在する絶対的な物体でさえ、視覚機能を無意識にコントロールし、能動的に見る術を人はもっているのです。

ブルーナー博士が提唱した文化心理学の中核概念を担うのが「間主観性」(intersubjectivity)です。ちょっとばかり難しい単語が出てきましたが、ここはとても大切なポイントなので我慢してお読みください。
「間主観性」とは、「人々が、他者が考えていることと他者がそれらしく応じることを知るようになる方法」を意味し、平たくいえば「他者の心を理解すること」であり、「人をまねる」こと。
タピオカやパクチーなど、それまで特に美味しいとされていなかったものが、あれよあれよとブームになる背後には必ず仕掛人がいて、私たちの間主観性を刺激しています。特に「美容にいい」「痩せる」「コスパがいい」といったマジックワードをうまく使うと、効果絶大です。
仕掛人は一部の熱狂的なファンの場合もあれば、マーケティング戦法をたくみに操るプロパガンディストの場合もあります。テレビやウェブで話題になり、専門店に長蛇の列ができるなんて話を聞くと、それまで目も向けなかった人まで動機付けられます。
最初は別になんとも思っていなかった食べ物が、友人から「これ美味しいよ!」と勧められ、あらためて食べてみると「たしかに美味しいかも」と思えてくるのと同じです。

ちなみに心理学分野では、まねる能力は、認知発達やヒト独自の文化伝播に非常に重要と考えられています。まねは、物の使い方などを効率よく学び、次世代にその技術を忠実に伝えるのに不可欠です。特に赤ちゃんの頃から他者の行為をどんどんまねることで、行為の背後にある気持ちまでも理解できるようになるとされています。
なお、チンパンジーは簡単に見える行為でもまねを正確に行なうのは苦手です。「サルまね」という言葉は誤りで、サルはまねをあまりしません。
 

「意味不明な上司」を嘆いていた若者が、やがて彼らと同化する理由

職場にはびこる数々の意味不明においても、「知覚とは習慣(=文化)による解釈」であり、「心は習慣」で動かされていることが深く関係しています。
意味不明を嘆いていたヒラ社員は、出世が決まると「現場の声を反映しよう!」「現場の力がもっと発揮できる組織にしよう!」「ジジイどもを撲滅しよう!」と、鼻息荒く意気込みます。
ところが、そうした元気な社員たちがたちまち“残念な上司”に成り下がる。
「役職が人を作る」という名言どおり、階層社会の階段を昇ると高い知識やモラルが育まれる一方で、怠惰、愚考、堕落などのマイナス面も同時に生じ、習慣に適応してしまうのです。

「現場の人たちの扱い方って、本当に難しい。絶対に自分たちの意見や方法を曲げないんです。会社は採算が取れるかが大前提になりますから、ある程度の妥協も必要です。現場の言い分はわかりますけど、会社というのが組織である以上、組織の論理で動かないとダメですよね」

これはある車の部品メーカーの部長さんの言葉です。部長さんが課長だった3年前、私は彼をインタビューしていました。当時、彼は「現場は会社の生命線」と明言していました。
その彼が、今は「現場にも妥協が必要」と言い放ったのです。
立場が変われば見えるモノも変わるでしょうし、会社が組織である以上、仕方のないことなのかもしれません。それでも私は課長時代の彼が、率直に好きでした。「そうだよ。現場は生命線なんだよ!」と深く共感しましたし、いずれ彼は上に行く人だと思っていたので、「部長に昇進した」と連絡を受けたときは、「よし! がんばれ!」と心から声援を送りました。
なのに部長になった彼は、まるで別人でした。

「面従腹背」とは、あの前川前文部科学省事務次官が使った四字熟語ですが、「うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わない」を実行するのは容易じゃありません。
だって「人事権」を握られているんです。下手なことをして左遷でもされたらたまったもんじゃない。誰だって自分がかわいいし、誰だって追い出し部屋候補にはなりたくない。仕方なく周りに合わせていくうちに、次第に面も腹も従うようになり、「おかしいこと」を「おかしい」と知覚できなくなり、「アレはアレで意味あること」と盲信する。そうです。どっぷり“ジジイ文化”に染まっていくのです。
 

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“ジジイ”の定義

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