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生き方

大学中退、離婚、シングルマザー…離島の漁船団を率いることになった理由

坪内知佳(萩大島船団丸)

2018年09月13日 公開 2024年12月16日 更新

 

自然の声を聞く仕事に原点回帰したい

初めて長岡の漁船に乗って、萩大島に行った日のことを私は忘れられない。

対馬海流の荒い波をかきわけて、小さな漁船は進んでいく。萩大島の濃いグリーンの島影が近づいてくると、海岸ぎりぎりまで身を寄せ合うように建つ小さな家々が見えてきた。

着いたのは静かでひっそりとした漁村だった。岸壁の上を歩く野良猫と空を舞うウミネコ以外は、人も車もバイクも動くものは何も見当たらない。ときおり海から吹きつける風が音をたてて通りすぎていく。

でもそれはさびしい風景ではなかった。どこか郷愁を呼び起こすような不思議な懐かしさがあった。

ペンキのはげた漁船や年季の入った巨大な燃料タンク、風にはためく漁網と風雨にさらされた倉庫……。風景のそこかしこに、親子何代にもわたって、この地で暮らし、海とともに生きてきた人たちの生活と温もりが感じられたのである。

やがて私は萩大島の人たちの素朴な暮らしを知る。

島にはコンビニもなく、代わりにあるのは漁協が直営する小さな商店だけ。しかも、買い物はツケでできる。支払いは漁に出たあとでいいのだ。味噌も野菜も手作り。ほとんど物々交換で暮らしているような世界で、魚が獲れても獲れなくても、人々は笑って暮らしていた。

そこには有名料亭や三つ星レストランなんて当然ない。

でも「島の魚が一番美味しいんだ。これが日本一だ」と胸をはって言える彼らの明るさがあった。

お金がない、と言いながらも、いつも新鮮な魚の刺身を大皿に山盛りにして食べている贅沢さだった。

そんな彼らの生き方がうらやましくて、私は思わず涙がこぼれそうになったことがある。離婚や将来のことで悩んだり、そんなことでくよくよ悩んでいた自分がとてもちっぽけに思えた。

萩大島の人たちといれば決してのたれ死にすることはない。

この人たちと一緒なら、何があっても笑って生きていける。

それこそが生きていく究極の強さだと思えたとき、体の底から勇気が湧いてきたのを思い出す。

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船団長の心をつかんだ1枚のなぐり書き

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