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生き方

「自分の孫の話は、他人にはつまらない」に気づかない“悲劇”

森博嗣(もりひろし)

2019年10月21日 公開 2019年10月23日 更新

 

種を蒔くのは、今からでも遅くない

さらに問題なのは、このような趣味がなにもない人だ。

たとえば、職場の仲間との飲み会が楽しみだった、という人は、退職したら一気に寂しくなる。その人の心境こそが、本当の「寂しさ」だろう。新たに飲み友達を作れば良いのかもしれないが、これまでのように部下ではないから、気を遣い、持ち上げてくれるわけではない。

おそらく、このようなタイプの人たちが「孤独」を感じ、「孤独」を恐れるのだろう。

しかし、気にすることはない。まだまだ人生は何十年も残っている。これからでもけっして遅くはない。少しずつでも新しいことにチャレンジして、自分の楽しみを少しずつ作っていくことで、人生は「面白く」なるはずだ。

大事なことは、エネルギィをかけること。種を蒔いて、畑の世話をすること。そうすることで、いつかきっと大きな収穫がある。

 

孫の話は、他人には面白くもなんともない話

若い人には、まだ想像もできないことだろうが、年寄りになるほど、「死」というものが自分に近づいてくる。周囲の知人がつぎつぎと死んでいくし、自分の躰もあちらこちらに不具合が生じ、若い頃のように動けなくなる。目は霞むし、耳は遠くなる。

動きは遅くなり、頭も回転しない。特に、つき合う仲間がみんな年寄りだから、そういった暗い話ばかりになって、うんざりすることになるだろう。

また、身内に年寄りがいるはずだから、その介護をしなければならない。自分がされる側かもしれない。こうなってくると、よほど「面白い」ことでもないと、本当に生きていられない状況になってくるだろう。

自分の幸せというものは、風前の灯火である。若いときは良かった、と思い巡らすのは過去のことばかりになる。身内に若い子がいれば、もう関心はそこにしか向かない、という人生にもなりがちだ。

孫の話しかしない老人というのは、微笑ましいし、無害といえば無害だが、そのうちに敬遠したい存在になるだろう。

自分の楽しみは、各自の自由だが、一方的にアウトプットしてばかりでは、迷惑となる。他人の孫の写真など見せられても、面白くもなんともない。

アウトプットするからには、他者にも価値があるものを選ぶ必要があり、客観的な評価ができることが条件である。それができないなら、しない方がよろしい。まだ、ペットの方が良い。何故なら、孫は人間であり、人権があるからだ。

そうでなくても、ネット社会に慣れていない世代である。つい個人情報を晒してしまうことにもなりかねない。注意が必要である。

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孤独になる前に「面白い」を育てよう

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