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信玄堤を鉄壁にした武田信玄の「斬新なアイデア」

竹村公太郎(元国土交通省河川局長),養老孟司(解剖学者)

2019年10月18日 公開 2022年07月21日 更新

 

江戸時代の日暮里はタンチョウヅルが生息する湿地だった

【養老】家康以前の関東平野については、太田道灌のころは想像がつきませんが、『更級日記』がちらっと触れています。

あれは上総の国司だったお父さんの菅原孝標(すがわらのたかすえ)が都に帰るところから始まるのですが、その中に、背よりも高い葦(あし)が茂って遠くが見えないという記述がある。おそらく大変な湿地だったと思う。

家康の代になって、その関東が変わった。当時の江戸は、掘割(ほりわり)などを造って水路をずいぶん使っていますよね。

【竹村】あれは掘割を造ったのではなく、湿地を埋めて干拓した結果生まれたものです。掘るのは大変だったでしょうが、自然にガラを埋めていくと水路が生まれたわけです。

【養老】二、三年前に、有楽町のマリオンの近くで発掘をやっていました。上から見ていたら、江戸時代の遺構でしょうね、低い石垣のようなものや、明らかに水路と思われるものが見えました。

【竹村】広重の『名所江戸百景』の三河島から日暮里を描いた絵に、タンチョウヅルが二羽描かれています。タンチョウヅルが棲息していたということは、べらぼうな湿地帯だったんですよ。

【養老】釧路の湿原みたいなものですね。

【竹村】ええ。いまタンチョウヅルが自生しているのは釧路湿原だけです。それが江戸の日暮里にいた。

【養老】いま、それをわずかながらも偲ぶことができるのは渡良瀬遊水池です。かなり広い範囲で湿地が残っています。江戸も昔はあんな風景だったのではないかと思っているのですが。

 

湿地に大都会を造ったのは日本だけ

【竹村】しかし、こんな湿地帯にこれほど高度なビル群を造ってしまったのは日本だけです。

明治時代に日本にやってきたヨーロッパ人は、「どうして日本人はこんな湿地帯にいるんだ」と言って、みんな山の手の郊外に行ってしまったほどです。横浜や神戸でもそうですが、彼らは下のほうには来ません。みんな丘の中腹に行ってしまう。

【養老】あれはヨーロッパの低地でマラリアが多かったからです。イタリアが典型的で、『ゴッドファーザー』をご覧になった方は記憶にあるかもしれませんが、コルレオーネの故郷の住まいは山のてっぺんにあるのです。普通は水の問題があるあんな不便なところには住みません。しかし、彼らはマラリアが怖いから高いところへ行く。

【竹村】先進国で、それほどの湿地帯を上手に隠して、巨大なビル群を造ったのは日本だけです。他の先進国はみんな高台に都市を造っている。だから先進国の中で海面上昇によって最も大きな影響が出るのは日本です。しかし、海面が上がっても少し高台に撤退すれば日本は生き残れます。

【養老】大阪へ行くと東京よりひどいです、天井川が。車で走るとはるか上に水面がある。

【竹村】大阪の経済界の方に聞いた話ですが、大阪駅の梅田というところは、もともとは埋め立てた田んぼでした。埋田という地名はさすがに勘弁ということで、梅田になったということです。あそこもたいへんな湿地帯です。

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