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資本主義経済が崩壊したら“IT”だけじゃ食べられない…持続可能な社会に欠かせない「農業」

出雲充(株式会社ユーグレナ社長)

2021年02月26日 公開 2022年12月19日 更新

出雲充

持続可能な社会に不可欠な「身体性」とは?

持続可能な社会がどういうものなのか、真に理解できる人とできない人がいます。農業や林業、水産業に携わっている人たちは、日々、大自然を相手に自分の身体を使って仕事をしているので理解できます。

他方、金融業やIT関連産業の人たちの仕事には、こうした身体性がともなわないため、それを真に理解するのがなかなか難しいのです。

建物の中に閉じこもり、コンピュータを相手にしながら、数字が数字を生み出し、急増させていく世界にいたら、身体性とは無縁になります。これは致し方ないことです。

一方で、農林水産業を担っている人たちは、台風や集中豪雨、熱波など、気候変動に対する危機意識を強くもっています。それは、自然の真っただ中で働いて、田畑の状態や森の生物、海で捕れる魚介類の変化を、日々、肌で感じているからでしょう。

こうした肌感覚を頼りにするのが、身体性をともなって生きるということです。そのような生き方、仕事のやり方を実践し、持続可能な社会がどういうものなのかを理解している人が過半数にならないと、民主主義では進む道を変更することができません。

私はよく冗談で、「世界最高のコンピュータやAIが対戦相手でも、将棋や囲碁で負けた人間が怒ってコンセントを引っこ抜いたら、その人間の勝ち」だとか、「対戦中に会場が火事になったとき、パソコンやAIには身体性がないから、逃げることができず壊れてしまう」といったことを言います。

いまは身体性のないものが評価されていますが、今後はITのような身体性のないものと、農業のような身体性があるものとが「いいとこ取り」しながらバランスよく共存していくのがいいのではないかと、私は考えています。

身体性をともなって働いている農林水産業の人たちは、みんな決まってこう言います。

「私はこの地に、この山に、この海に生かされているんだ。だからどんなことがあっても、ここで生きていく」

身体性をもっている人のベースにあるのは、極めて泥臭い自然への尊敬の念です。

そして、身体性と切り離された金融資本主義下に生きる人たちの中にも、金融資本主義の限界にうすうす気づき始めた人たちが出てきています。

アメリカ・ニューヨークのウォールストリートのビジネスパーソンも、シリコンバレーのクリエイターも、銀行の頭取も、IT長者も、わざわざ日本に来て座禅をするのは、身体性を取り戻したいからでしょう。

 

パンデミック後の世界はミレニアル世代が先導していく?

人間は、身体性と完全に切り離されては生きていけません。

金融やITで大成功した人たちも、身体性を切り離して指数関数的に発展した後、「いったい何のために、この仕事をやっているのだろうか」とふと思うことがあるのでしょう。その際、生物としての身体性を取り戻し、人間としての価値を再認識したい、と考えるのではないでしょうか。

つまり、自分を見失った人たちが、自分を取り戻すために座禅や瞑想、マインドフルネスに取り組んでいると言ってもいいのかもしれません。

大成功したトレーダーの人たちの中には、自然を求めて移住し、農業や自給自足生活などを始める人たちが少なからずいます。これも同じで、やはり身体性を取り戻したいからではないでしょうか。

ただ、現代社会においては、身体性を切り離しても生きていけると思った人たちが、圧倒的多数になってしまいました。それによって、持続可能ではない社会に変貌を遂げたというのも、また事実なのです。

今回の新型コロナウイルス感染症のパンデミックが収束しても、今までの職業、産業で働き続ける人は多いと思います。人はそう簡単には変わりません。

しかし、パンデミックを通して意識が変わり、金融業を辞めて農業を始めようという人が、少しは出てくるかもしれません。特に、ミレニアル世代から……。やはり、ミレニアル世代が先導して社会は変わっていくはずです。

 

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