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闘病生活を共にした愛犬にもガンが...最後まで見せ続けてくれた「人間への愛情」

2021年12月22日 公開

ベン・ムーン(著),岩崎晋也(訳)

 

親友が最後の夜に教えてくれた「今を生きる」

デナリが14歳の誕生日を迎えたあと、スミスロック州立公園に行き、昔キャンピングカーで暮らしていたころに登っていたツナミという難易度5.12cのルートを、友人のシャンジーンと登った。デナリと来られるのは、これが最後になるかもしれない。

やせ細った背中を撫で、突きでた背骨に触れながら背中からお尻へと指を這わせた。以前は力強かった太ももがかなり衰えている。だが体は弱っても、デナリの心はまだ誇りを失っていない。それは老いによって奪われてしまうことはない。

デナリは子犬のときに捨てられたことや、そのあとの危機、4つの悪性腫瘍、呼吸が苦しくなる喉頭麻痺との闘い、そして特発前庭疾患の発作にも負けなかった。いま、体は弱っているが、目はまだ献身と忠実さに輝いている。

デナリには独特の存在感があった。はっきりと感じられるが、言葉で表すのはなかなか難しい存在感が。デナリには穏やかな気高さがあった。いつの間にか親友のようにぼくの暮らしに入りこんでいて、本来の性格がわかってきたのはそのあとだった。

デナリには思いやりと愛嬌があり、同時に冷静で強かった。どんな感情も出来事も見逃さず観察しているが、ベタベタすることはない。わがままではなく、いつもつぎの冒険を待ち受けていた。一言で言えば、デナリは最高の男友達のようなものだった。

それはいまも胸が張り裂けるほどつらい記憶だが、そのことはまた、ともに生きる人と犬が純粋に愛しあうことの証でもある。犬は死ぬ最後の瞬間まで、人を理解し、どんな姿を見ても愛し、受けいれてくれる。そんなことはほかの誰にも、家族にだってできない。

だからこそ彼らを失うことはつらく、また美しい贈り物でもあるのだ。どうやって説明したらいいのだろう。犬は人種も性別も政治的立場も信条も区別しない。人にはさまざまな心の傷や歴史があって、道徳観や意見もそれぞれちがっている。けれども犬はただ、そうしたちがいの奥にある人間の心だけを見ている。

デナリの最後の夜は、眠ることができなかった。ぼくはその一秒ごとをしっかりと噛みしめ、静かに涙を流しながら頭を撫で、友情に対する感謝を伝えた。

 

ありがとう、デナリ

ぼくとデナリの14年半の友情は冒険と喜びに満ちていた。たがいが障害を乗りこえ、一緒に成長することができた。離婚の苦しみや命を脅かす病気のときも、デナリはそばにいて、人生のそれぞれの段階を通過するのに寄り添い、ひとりの人間として現実と向きあうように導いてくれた。

ぼくという人間が形成された24歳から39歳までのあいだ、結婚に失敗し、その後プロの冒険写真家、映画制作者としてキャリアを築き、40歳になる少しまえまでの時間、デナリはぼくと一緒に歩いた。そしてこの世を去るまでずっと、関節の痛むぼろぼろの体でぼくを見守ってくれた。

デナリは、ぼくのことを自分よりもよくわかっているとさえ思えるような特別な存在だった。不思議な力があり、ぼくが世に出ることができたのは彼のおかげだといってもまったく誇張ではない。

欠点や弱さも、当たり前のように受けいれてくれた。ぼくが苦境に陥った人に手を差しのべることができたのもそのおかげだ。つらいときにそばにいてくれる特別な犬を飼ったことがある幸運な人なら誰でも、ぼくの言葉をわかってくれるだろう。

デナリは自分の目的を知っていたのだと思う。そしていつも好奇心のおもむくまま、無限の可能性に心を開いて生きていた。

 

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