マクドナルドを初めて全米に広めた“一人のセールスマンの直感”
2025年05月22日 公開 2025年05月22日 更新

世界的ハンバーガーチェーンを築き上げたレイ・クロックの実話をもとに、直感と「根拠に基づく知恵」について科学ジャーナリストのデビッド・ロブソン氏による書籍『知性の罠』より解説します。
※本稿は、デビッド・ロブソン著, 土方奈美(翻訳)『知性の罠』(日経BP)を一部抜粋・編集したものです。
レイ・クロックの直感
ハンバーガーとフライドポテトをせわしなく口に運びながら、レイは事業計画をまとめはじめた。
セールスマンとして働く52歳のレイは、決して危険な賭けに出る人間ではなかったが、「腹のあたりで」強烈な直感がうずいたときには行動を起こさなければならないことはわかっていた。しかもこれほど強烈なやつは、生まれて初めてだ。
この手の直感が外れたことはなかった。もとは飲み屋や売春宿でジャズピアノを弾いていたが、紙コップ業界に転職してトップセールスマンになった。第2次世界大戦が終わった直後にはミルクシェイクを同時にいくつも作れるマルチミキサーの可能性に気づき、いまでは食堂にマルチミキサーを販売して相当な金額を稼いでいた。
しかしレイの心は、常に新たな可能性に開かれていた。「まだ青いうちは、成長しつづける。熟してしまったら、あとは腐るだけだ」というのが口癖だった。糖尿病や関節炎の兆候が表れるなど、体の衰えは隠せなかったが、気持ちはまだ年齢が半分程度の若者と変わらないぐらい青かった。
このためカリフォルニア州サンバーナーディーノで2人の兄弟が営むハンバーガーショップからの紹介で、大勢の顧客がマルチミキサーを買いに来ていることに気づくと、すぐに見に行かなければ、と思った。
これほど大勢の業者にミキサーの買い替えを決意させるとは、そのハンバーガーショップにどんな特別な魅力があるのか。
店に入ると、まずその清潔さに驚いた。店員全員がぱりっとした制服を着ており、典型的なロードサイドのレストランのようにハエの大群はいなかった。そしてメニューは限られていたものの、サービスは迅速で効率的だった。
メニューの製造プロセスは徹底的に簡素化され、お客は注文時に支払いを済ませるので、ウェイトレスにチップを渡すのに無駄な時間を費やすこともない。
しかもフライドポテトは絶品だった。アイダホ産のジャガイモを切って、新鮮な油でカラリと揚げている。バーガーはしっかり火が通り、上に乗ったチーズはとろけていた。店の外には「袋に入れて持ち帰れます」と書かれていた。
レイはこんなハンバーガーショップを見たことがなかった。妻や子供を連れてきたくなるような店だ。しかも店の運営を改善する余地は大いにありそうだった。レイは腹の底から興奮した。「まるでノーヒットノーラン達成間近のピッチャーのように」緊張してきた。なんとしてもフランチャイズ展開の権利を獲得し、アメリカ中にこの店を広げなければならない。
それから数年で、レイは蓄えをはたいてオーナーであった2人の兄弟から店の権利を買い取った。それでもゴールデンアーチのシンボルマークは変えず、ケンカ別れして以降も「マクドナルド」という兄弟の名前をすべての店に掲げつづけた。
顧問弁護士はレイの頭がおかしくなったと考えた。妻は激しく反対し、結局夫婦は離婚した。それでもレイは一切疑問を抱かなかった。「腹のなかにこれは絶対間違いない、という感覚があったのだ」
歴史はレイ・クロックの直感が正しかったことを証明したと言えるだろう。マクドナルドには現在、1日あたり7000万人の顧客が来店する。しかし合理性障害(抽象的思考能力は高いが合理的思考能力が著しく低い)の科学の視点から見ると、腹のなかに妙な感覚があったからと言って、全財産を投げ打つ男に、多少の疑問を抱くのは当然だろう。
直感を認知バイアスから解放する
問題は、一般的知能や教育水準が高く、職業的に成功している人を含めて、貴重なシグナルを正しく解釈し、とんでもない失敗につながるサインを認識するための十分な内省を怠る人が多いことだ。
研究によると、認知バイアスの原因は直感や感情そのものではなく、そうした感覚が本当は何を意味するかを見きわめようとせず、都合よく無視することだ。そのうえで直感や感情に基づく誤った判断を、知能や知識を使って正当化するのが問題なのだ。
最新の実験で、直感を効果的に分析するために必要な能力とは具体的にどのようなものかが明らかになってきた。そこからは、伝統的な知能の定義には含まれていないものの、賢明な判断には不可欠な能力がさらに浮かび上がってきた。
実は「腹のなかで感じた」というクロックの身体的表現は、人間の知能の働きに関する新たな知見と完璧に合致している。
幸い、こうした内省の能力は学習できるものだ。しかもそれを「根拠に基づく知恵」の原則と結びつけると、すばらしい効果がある。記憶の正確性は向上し、社会的感受性が高まって交渉はうまくいくようになり、しかも創造力が活性化する。
直感を認知バイアスから解放することで、後天的な知識や職業上の経験が引き起こす「専門知識の逆襲」をはじめ、さまざまなタイプのインテリジェンス・トラップを回避できるようになる。