自己イメージを肯定的方向に修正する
自己イメージは、現実の自分ではないということを知ることが大切である。小さな子供の頃、不幸にして自己否定的なイメージを作る人が多い。
人間は無力に生まれる。そこで自分はどのような人間であるかを正確に理解することができない。従って自分にとって重要な他者の反応が唯一の指針になる。
つまり例えば、自分の親が自分をどのように取り扱うかで自分を理解する。
そこでもし親が愛する能力をもっていなかったらどうなるか。子供は親が愛する能力をもっていないとは解釈できない。自分は愛されない存在であると解釈する。
もし親が愛する能力をもっていたらどうなるか。自分は愛される存在であると自分を解釈する。親が子供に接して「この子は私に何と多くのものを与えてくれることだろう、生きる喜びと心の安らぎを与えてくれる」と感じる。
すると子供はそのように自己をイメージする。
逆にある子供は、自分は他人にとって迷惑な存在であると自己をイメージする。別の子供は私は他人に喜びを与えることができると自己をイメージする。
私が言いたいのは、自己蔑視してしまっている人は、決して実際の自分が軽蔑すべき存在ではないのだということを知ることが大切であるということである。
人は自分の親を選べるわけではない。つまり親が否定的な態度の人であったら、これはどうすることもできない。
子供は間違いなく自己否定的なイメージをもってしまっている。
大人になって急に「自分をダメな人間と思ってはいけない」と言われても、すでに「自分はダメな人間、愛されない人間」と思い込んでしまっている。
私達は知らないうちに自己イメージを学習してしまう。従って恋が実るためには、自己イメージを変える必要がある。
もし自分の親が否定的態度の人であったら、自分の価値について大人になって大変革をする決断をすることである。
「自分は価値がある」と自己イメージを変える。恋が実るためには、そのことを信じることから始めなければならない。
そして何よりも、否定的態度の人と接することを避けることである。いよいよ自信を失うだけである。自信のない人は、自分の親と違った種類の人と接することを心掛けなければならない。
自信のない人の中には、物凄く恩着せがましい親に育てられた人がいる。つまり小さな頃から「お前のためにこんなに苦労をしている」ということを親から言われる。
そして「お前は何もできないから俺がしてやる」という趣旨のことを、いつも親から言われる。
よく言われるところの、「必要とされることを必要とする」親がいる。そういう親は、子供から自分が必要とされることが、自分が嬉しいのである。嬉しいを通り越して必要になっている。
そこで子供は自分では何もできなくなる。何もできないことで親を喜ばせることができる。子供が何もできなくて親がしてあげることで、親は自分の無力感を解消している。
「必要とされることを必要とする」親のもとで育った子供は、いつも何をするのにも人の助けを必要とするような気持ちになっている。
というよりも、人の助けなしに自分は何もできないという自己イメージをもっている。
旅行一つ行くのにも「必要とされることを必要とする」親は、子供から旅行に連れていってもらいたいと頼まれることを必要とする。
子供から「自分一人では行けないので旅行に連れていって欲しい」と求められることを親は必要とする。
子供がそのようになることを親が要求する。そこで子供は「自分一人では行けない」と思い込む。
実際に一人で行ったとしても親がしてくれた些細なことを見つけては、「そのお蔭で」旅行に行けたと思う。あるいは特別の幸運が味方して行けたと思う。
そのように思うことが親の意にかなう子供なのである。従順な子供は親に認められることが最大の喜びである。
自分の力で何かができた、そのように思うことは、「必要とされることを必要とする」親に対する反逆である。
結局人は成長の過程の本当につまらないことで、自分に自信を失っているのである。そして自信を失うことで、人生で多くのものを失うことになる。自分に自信を得ることで、人生で可能性と喜びを得る。
恋が実るためには自分に自信をもつことである。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。