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生き方

実は不安から逃れている?「なぜか病気がちな人」の本音

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年01月24日 公開 2024年12月16日 更新

実は不安から逃れている?「なぜか病気がちな人」の本音

子どもが「学校に行きたくない」と熱を出したり、大人も仕事でここ一番というときに体調を崩したり……。加藤諦三氏は、病気になってまで人は逃れたいものがあるからだと指摘する。

※本稿は、加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。

 

病気になりたいという願望

オーストラリアの精神科医ベラン・ウルフが「悩みは昨日の出来事ではない」という名言を残しています。30歳を過ぎても、不安な現実から逃避するようなことを言っている人は、小さい時からずっと不安から逃げるという解決方法を取ってきたはずです。だから、内面も弱くなり続けているに違いありません。

子どもの頃、学校に行きたくない時に「行きたくない」と言って、親に「行きなさい」と怒られた経験はありませんか。

しかし、病気になれば別です。親が学校に電話をかけてくれて「休んでいい」と言ってもらえる。病気にさえなれば、いま直面している不安な状況からは逃れられ、会いたくないみんなにも会わずにすませることができたのです。

これは、身体化症候群です。同じくロロ・メイはこのように述べています。

「またきわめて興味のあることは、人々が表向きに器質的な病気になるとき、不安が消えていく傾向にあるということである。」(『不安の人間学』ロロ・メイ〈著〉、小野泰博〈訳〉、誠信書房、67頁)。

自分の力が試されるというのは不安です。しかし病気になれれば、その試練を大きな顔をして逃れることができます。そこで腹痛、片頭痛、過敏性腸症候群を発症するケースが、実は多いのです。

「ドクターショッピング」という言葉があります。これは、お医者さんから、お医者さんへ渡り歩くことです。

お医者さんから別のお医者さんへ渡り歩くのは、病気を治すためではありません。「あなた病気ですよ」と言ってもらい、安心するためにお医者さん回りをするのです。ですから、医学的に病気でなくても、「病気ですよ」と言ってさえもらえれば不安がなくなります。

実際に病気になるよりも、心の不安に耐えているほうが、実はもっとしんどいということです。病気になれば、自分の価値が脅かされることがなくなります。だから、「あなたは、こういう病気です」と言ってもらい、不安から逃れようとするのです。

 

肉体の病気のほうが楽

自分の実力を試される場面というのは、非常に不安になります。だから、さまざまな口実を設けて逃れたり、身体化症候群のような器質的な反応を示すことで、その心理的な不安から逃れようとします。

症状はさまざまです。共通するのは「本当の病気ではない」が、「症状はある」ということです。

その症状の目的について、ロロ・メイはこう言っています。

「症状の目的は、せきとめられたリビドーから、生物体を守ることではなくて、むしろ、不安発生状況から個体を保護するためである。」(前掲書『不安の人間学』68頁)。

試験を受けなければならない、会議で発表しなければならないなど、人は生きていくうえで数々の不安な場面に出会います。

そうした時に我々は、心を守るために身体のほうを病気にするのです。繰り返しますが、これは心の不安よりも、身体の病気のほうが心理的に楽だということです。不安のほうがつらいので、その不安から逃れるためであれば、その場では病気になってもいいということなのです。

器質的に病気になることで、意識の上では「これで自分の価値が脅かされることはない」という安心が得られます。まさに肉体的な病気が本人を心理的に保護したということです。

つまり、仕事ができない不安を「私は胃が弱いから仕事ができない」と言うことで、一時的な安心を得ているのです。

「もう1つ重要な点は、情動的あるいは心的不調よりも、器官の病気になることのほうがはるかに受け入れられやすいものだと考えられている。

いわばこのことは、現代文化には、不安その他の情動ストレスが、きわめてしばしば身体的形体をとるという事実と関連があるのももっともなことである。」(同『不安の人間学』64頁)。

「不安その他の情動ストレス」から、胃潰瘍になる人もいるでしょうし、がんになる人もいるでしょう。ストレスから眠れなくなり体調を崩す人は多く、睡眠不足のせいで免疫力が落ちてどうしても病気になりがちです。

「もし生物体がうまく逃げることができるならば、恐怖は病気に導かれることはない。もし逃れることができず、解決できない葛藤状態のままでいることを強いられるならば、恐怖は不安に変わり、そのとき精神身体的変化は不安を伴うかもしれない」(同『不安の人間学』65頁)

園児の心の病を治すことに長けた幼稚園の先生が、「病気がちな子は、家族が敵」と言っていました。怒りをいつも表現できず、溜め込んで病気になっているのです。

「learned illness」と言いますが、「子どもの頃に『病気になると、こういういいことがある』ことを学習させると、弱さを武器にして生き始めるので絶対にダメ」とその幼稚園の先生は言っていました。

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新型うつは存在しない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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