僧侶がインドを旅して気づいた「定年後の孤独」に陥らない人の特徴
2023年02月03日 公開 2024年12月16日 更新
「慢」を自覚すれば比較に悩まない
Q3.出世していく同僚を見て、自分はダメだと落ち込んでしまいます。心を前向きに保つ方法はありますか?
仏教では、私たちの心には「慢」がある、と言います。慢とは、誰かを見たときに、その人は「自分より上だ」「下だ」「同じくらいだ」と無意識のうちに判断しながら相手を見てしまうことです。
出世している人を見ては「自分はダメだ」と落ち込み、自分より出世が遅い人を見ては「自分のほうが上だ」と思い上がり、同程度の人を見ては安心する。他人と比較して、自分一人で一喜一憂する、ということをよくやっています。
それを止めようとしても、止められません。私たち人間は群れを成す動物なので、群れの仲間に対して自分のポジションを取ろうとするのは本能なのです。ただし、「慢が自分の心にある」と自覚しているだけでも、心はずいぶんと楽になります。
例えば、仕事で初めて会う人と名刺交換した際に、相手が自分を大きく見せようとしているなと感じることがあります。それに対抗しようとしている自分自身も。そんなときは、「相手の中にも、自分の中にも慢があるなぁ」と気づいておくだけでいいのです。
「相手を上、下に見ている自分がいる」と観察できれば、そんな自分がとても滑稽に思えてきます。そして、誰かと比較してむやみに落ち込んだり、調子に乗ったりする必要はないな、と思えるでしょう。
自分の役割を自分で見つけること
Q4.社内の人間関係しか築いてこなかったので、「定年後の孤独」が不安です。
私たちは、自分の人生を自分の選択で生きていません。特に先進国ではそれが顕著で、私たちはシステムの中に自動的に取り込まれています。
どういうことかというと、私たちが生まれてある程度の年齢になると、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校に通い、そのあとに大学に進学したり、就職したりします。その枠の中で選択しているように見えますが、学校があるから学校に行き、宿題が出るから宿題をするのであって、本当の意味で自分で選択しているわけではありません。
遊びですらそうです。ゲーム会社が作ったゲームを楽しんでいる。企業が作った流行に知らないうちに乗っかって生きているだけで、実は楽しみながら搾取されているのが現実です。
どんなに小さなことでも、自分で選んで、決めて、それを自分の責任において行なう、という毎日を過ごしていないのです。
おそらく皆さんも、「1年間仕事をしなくていいよ」と言われたら、最初のうちこそ楽しいかもしれませんが、そのうち「これからどうしよう?」と不安に襲われるはずです。その状況に、好奇心や体力が落ちてきた定年後に陥ると悲劇ですよね。
では、どうすればいいのか。「自分の役割や、やりたいことを自分で見つけて生きる」という練習をしていくことです。
私は僧侶になる前に、インドから日本に至るまでの仏教伝道ルートを3年かけて旅をしました。インドで出会ったおじいさんが、まさに「自分の選択で自分の人生を生きる」お手本のような生き方をされていましたので、そのお話をしたいと思います。
そのおじいさんは、貧しい村の外れの道路の脇に座っておられました。私がその村にいた2週間ほど、朝から晩までずっとです。不思議に思って村の人に聞くと、「あのおじいさんは自分の仕事をしている」と言うのです。
インドの田舎道は道路が舗装されておらず、しかも、往来する車は常に過積載です。未舗装の道にはわだち(通った車が道に残した車輪の跡)ができるので、車が頻繁にひっくり返って荷物が道に散乱してしまいます。
そこで、車が横転しないように、おじいさんが道路にできたわだちを毎日埋めていたのです。誰かに頼まれたわけでも、報酬をもらっているわけでもありません。それを自分の役割だと自分で決めて、10年以上も続けているというのです。
このおじいさんは、決して孤独ではないと思います。なぜなら、ベクトルが自分の内側の寂しさではなく、他の人たちをサポートする喜びに向いているからです。自分になすべきことがある状態が、一番力になります。
定年を機にシステムの中での役割を終えたら、自分で自分の役割を見つけていってはどうでしょうか。50年、60年の人生経験の中には、もう少しこうなったらいいな、と思うこともあったはずです。
自分や自分の家族のためだけでなく、地域や社会に対して自分ができることはないだろうか。そういう視点で世間を見てみると、そこにやらせていただけることはたくさんあると思いますよ。
(『THE21』2023年3月号特集「心が強くなる!『メンタル』整理術」より)